「黒島の集落」でガイド登録している仏教徒 和泉光利さん(61) 宗教融和の史実 伝える 島外赴任中も地道に活動

 「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産「黒島の集落」(佐世保市)。人口約400人のうち8割がカトリックとされ、敬虔(けいけん)な信者が多い。和泉さんは黒島観光協会に登録している地元ガイドで唯一の仏教徒だ。
 黒島で生まれ育った。友達の多くはカトリック信徒。幼いころは黒島天主堂周辺でよく遊んだ。世界遺産登録の機運が高まると「宗教に関係なく古里の力になりたい」との思いから、約5年前に黒島観光協会の研修を受けてガイド登録された。
 古里の歴史を学び直し、黒島の遺産は宗教を超えて守られたと感じた。もともと黒島に住んでいたのは仏教徒。14世紀ごろに黒島港付近に集落ができた。江戸幕府の禁教令の下、長崎の外海などから「潜伏キリシタン」たちが島へ移住し、続々と集落をつくった。
 潜伏キリシタンは仏教徒を装い、黒島港近くにある興禅寺の檀家(だんか)になった。寺の近くにあった役所では、キリストや聖母マリアの像を踏ませてキリシタンでないか確かめる絵踏みが行われていた。「多くの信者がいたはずだが、処罰されたという話は聞かない。同じ島に暮らす人間として、見て見ぬふりをした仏教徒もいたのだろう」と思いを巡らす。
 1961年に興禅寺が建て替えられた際には、本尊の仏像の袖の下に隠されていたマリア観音像が見つかった。寺の梵鐘(ぼんしょう)に刻まれた檀家の名前には、カトリック集落に多い名字も含まれている。「宗教融和の史実も多くの観光客に知ってもらいたい」
 現在は黒島の自宅に家族を残し、北松佐々町の農協施設に単身赴任。休日には黒島行きフェリーが発着する相浦港に足を運び、観光客にパンフレットを配ったり、見どころを教えたりして側面から支える。「いずれは島でガイドをやらないといけない。仏教徒だからこそ伝わる黒島の魅力もあるはず」。伝えたいことはたくさんある。

マリア観音像が見つかった興禅寺で梵鐘を調べる和泉さん=佐世保市黒島町

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