【JFEコンテイナー、中国のドラム事業20周年】地場に根ざし販路開拓、高品質品の供給で存在感

 JFEコンテイナーの中国ドラム事業が操業開始から20周年を迎えた。川崎製鉄(現JFEスチール)グループで初の中国事業として業容を広げ、華東地区で1998年4月の上海に続いて平湖と揚州、内陸部の重慶を合わせた4都市に生産拠点を整備している。日本のドラム事業と両輪で強固な事業基盤を構築し、日系唯一のドラム缶メーカーならではの高品質な製品の供給で存在感を示す。

 中国ドラム事業をめぐっては、川鉄コンテイナー(現JFEコンテイナー)が将来を見据えた成長戦略の一環で、伊藤忠商事と海外事業を構想したのがきっかけだった。自前で容器産業を手掛ける方向で検討を進める中、急拡大する中国が有力な進出先として浮上。FS(現地調査)を通じて、当初描いていたペール缶の事業化から一転、主力のドラム缶で大規模な需要が見込まれると判断した。両社は香港に本拠を置く製缶メーカーをパートナーに迎え入れ、上海で高品質なドラム缶を生産する新たなプロジェクトを始動した。

 前述の3社は合弁会社「JFE金属容器(上海)」(当初の上海崎勝金属有限公司、KISCO)を設立。98年4月、上海・浦東新区に新工場を立ち上げた。KISCOは出資3社の頭文字にちなみ、2008年に「JFE金属容器」へ社名を変更後も同社の代名詞として親しまれる。現在の出資比率はJFEコンテイナー80・1%、伊藤忠丸紅鉄鋼19・9%で構成する。

 上海・浦東新区は国際空港を構え、住宅や工業団地が混在する国内屈指の大規模開発エリアながら、1998年当時は造成の途上にあり、林や畑が広がる田園地帯だった。外資が参画する製造業の多くは輸出が主体だったのに対し、JFE金属容器(上海)は中空という容器の特性を踏まえ、現地の需要家向けに照準を合わせた。日本でノウハウを培った化成処理缶や内面缶をはじめとする高付加価値品を主体に、地場に根を下ろして販路の開拓に挑んだ。

 JFE金属容器(上海)では試行錯誤を重ねつつ、日中両国の社員による地道な営業活動が着々と実を結んだ。やがて南京から上海にかけての長江流域が石油化学の最大生産基地になるとの計画が明らかになり、工場の至近に華東を代表する化学工業区が開業。世界的な日欧米の大手石油化学メーカーが相次ぎプラントを建設するなど、当初のFSをなぞるようにドラム缶需要が拡大した。

 激烈な市場競争に直面しながらも、高品質品を旗印に掲げる営業戦略が奏功。JFE金属容器(上海)は2001年8月に単月、04年には通年で黒字化を達成した。ドラム缶需要の増加が追い風となり、JFE金属容器(上海)は工場の稼働が1直から2直に移行。さらなる増産が視野に入る中、08年に同じ浙江省で南部・平湖に第2工場(JFE金属容器(浙江))、11年には江蘇省・揚州に第3工場(JFE金属容器(江蘇))を建設した。3工場で華東地区への供給に対応する一方、15年には中西部の重慶に4番目の工場(JFE金属容器(重慶))が加わり、全5ラインで年間960万本規模の生産能力を有する。

 進出の足がかりとなったJFE金属容器(上海)は実質的な中国事業の本社機能を担い、各拠点に対するエンジニアの派遣をはじめマザー工場の役割を果たす。JFE金属容器(上海)に常駐する総経理が他の3工場で同様の職責を全うするのはその一環。JFE金属容器では上海を核に、4つの工場がそれぞれの個性に磨きをかけるとともに、華東地区で拠点間の相互補完や生産品目の共通化をはじめとする一体運営を視野に入れる。稼働から3年目の重慶は早期の足固めを図るなど、中国事業全般を通じて安定した収益や品質の確保に向けて効率的な生産体制を追求する。

 中国では一時に比べ伸びは鈍化するものの、中期的に石油・化学製品需要の安定成長が見込まれる。JFEコンテイナーは現行の中期経営計画(18~20年度)において、中国ドラム事業で量と質的な成長を目指す。顧客ニーズの多様化や高度化に対応した新商品の投入も念頭に、さらなる飛躍へ次なる一手を模索する。(中野 裕介)

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