マリエ流「持続可能な服作り」、アナ・スイからの教え

モデルとして芸能界で活躍したマリエは2017年6月に自身のファッションブランドを立ち上げた。販売場所は人を集めるため地方が中心、廃材を利用したアップサイクルなど、持続可能性をコンセプトに持つ。サステナビリティに関心を持った経緯やニューヨーク留学中にアナ・スイら世界的デザイナーから教わった「時代の流れの読み方」について聞いた。(オルタナS編集長=池田 真隆 写真=高橋 慎一)

インタビューを受けるマリエ=9月6日、アッシュ・ペー・フランスが開いたキュレ―ションイベント「rooms experience」内で

「いま、あなたがニューヨークにいることがどういう意味か分かる?」――アナ・スイはマリエにそう問いかけた。時は2011年。マリエが芸能活動を中断して、ニューヨークにあるファッションの名門校パーソンズ・スクール・オブ・デザインに留学していた頃だ。

マリエが考えを巡らせていると、アナ・スイは、「ここには世界一の醜さと美しさが揃っている。時間の許す限り全部自分の目で見て回りなさい。そして、自分にとって大切なものを取捨選択できるようになりなさい」と進言した。

この「自分の目で見て回る」という行為がデザイナー・マリエとしての基礎を築いた。ニューヨークにいたときもそうだが、2013年に日本に帰国してからも興味を持った職人のもとへ必ず足を運ぶようにした。これまでに話を聞いた職人の数は300人を超すという。

職人と話し続けるなかで、自分自身のことも知っていったという

「どうしてあのデザイナーがこの工場の生地を選ぶのか。職人さんと話すとその理由が分かってくる」とマリエは話す。職人と話し、気付いたことを、東京・中野にある工房で待っているチームのメンバーに共有する。「大切なことは自分のエゴだけで取引先を選ばないこと」とする。

多くの人と話すことで、「自分の中に『資料』をたくさん持つようになった」とし、「状況に合わせて、自分の引き出しから資料を引っ張り出せる。強みと弱みを細分化できるようになった」。

東日本大震災のときには、自身のツイッターで「世の中はチャリティ産業か」と投稿し、炎上したこともあった。だが、「あの時は、混乱しているなかで、言葉が悪かった」と反省の色を見せる。東北にいる職人も訪ねたことがあり、仙台にある工場とも取引するまでになった。

チームメンバーとともにブランドを育てあげる

帰国直後の2013年に会社「HELL OF HEAVEN」を立ち上げたが、当初は他社ブランドの製品を製造するOEMを中心に事業を展開していた。2017年に自身のファッションブランド「パスカルマリエデマレ(PASCAL MARIE DESMARAIS、以下PMD)」を設立したが、「もともと自分のブランドを立ち上げる予定はなかった」と明かす。

そんな思いとは裏腹に、初めてデザインしたTシャツ(1万3800円)は72枚限定だったが、公式サイトで販売したところ、わずか5分で完売した。そのシャツは、マリエがパターンを引き、立体的なPMDロゴをプリントした。タグなどは布に直にプリントするなどこだわりを見せた。

自身のファッションブランドを持ったことで、デザインに掛ける思いは一層強くなった。「購入から廃棄までをデザインしたい。デザインのあり方から流通まで考え直したい」と力を込める。マリエの考えに共感した工場から問い合わせをもらうようになり、一件ずつ訪問を繰り返した。

工場で捨てられる予定だった端材を使って、オリジナルのラグ「THE LEFT OVER RAG」(小16800円、中27800円、大36800円)も作った。通常、一枚の生地を使うときに、両端を切り落とす。このときに出た端材を使った。廃材を製品化する「アップサイクル」といわれる手法だ。

ラグに使う端材。大量に届く端材のなかから、使える素材を選び、色分けして、デザインする

端材を使おうと考えた経緯も、工場を訪問したことがきっかけだ。「最初に訪ねたときに、この生地が丸まって棚に詰められていた。話を聞いたら、お金を掛けて廃棄しているということで、それだったらうちに送ってくださいと頼んだ」。

「彼らからしたらただのゴミでも、私からしたらゴミには見えなかった」と話す。

今年の8月末から9月上旬にかけて、三越銀座店でポップアップショップを出した。Tシャツに加えてリバーシブルで着用可能なデニム、有名ブランドとコラボレーションしたキャップなどの新商品を揃えたなかで、このラグも店頭に並べた。

ラグ「THE LEFT OVER RAG」(小16800円、中27800円、大36800円)

「ほかの商品に比べるとデザイン的にも浮いていたので、いくら大義名分があっても、お客さんの層から考えて、誰も反応しないだろうと思っていた」と当時を振り返る。しかし、結果は違った。32枚限定で販売したが、1週間の期間で、28枚売れた。

マリエは「ファストファッションに感謝した」と話す。その意味についてこう説明した。「多くの人がこのラグを安いと言ってくれた。おそらく、ファストファッションに慣れている人はどうせ捨てると頭の隅に考えながら買っている。でも、これは捨てたくない。だから、その人にとっては、この価格帯でも安い商品になった。ファストファッションが流行したおかげ」。

マリエは自身のファッションブランドの特徴を、「エシカルやサステナビリティを大義としていないところ」と強調する。「サステナブルなファッションを作りたかった訳ではなく、いまの世の中のオシャレをひも解くと、自然とサステナブルなものになった」と説明した。

エシカルやサステナビリティをマーケティング用語として認識していない。かっこ良さを追求したら、自然と持続可能性になると考える

むしろ、マリエにとっては、サステナビリティを選ぶことは「当たり前」だと言う。クリスチャンの小学校に通っていたため、幼少の頃から環境問題について教わっていた。小学生ながら、母親にお菓子の板ガムのパッケージについて、「銀紙の上にさらに紙も巻かれていて、無駄じゃないか」と文句を言っていたという。

かっこ良さの感覚もミレニアル世代ならではだ。「かつては、タバコやお酒、ドラッグがパンクの象徴で、反社会的であり、かっこよく、ファッショナブルであった。でも、いまの時代の反社会的な行為は、タバコでも、お酒でも、ドラッグでもない。自分が信じた世の中に良いことを貫く姿勢が、パンクであり、反社会的であり、それがオシャレになっている」。

持ち前の感性は、ニューヨークでさらに磨かれた。アナ・スイだけでなく、トミー・ヒルフィガー、ダナ・キャランなどそうそうたるデザイナーから、マーケティングや信念の貫き方を教わった。

レギュラー番組9本を誇った芸能人・マリエからデザイナー・マリエに転身できたのも、彼らからの教えがあったからだ。「好きなことを貫くことで、食べていけると若者へ伝えたい」と力を込める。「だからこそ、私たちは失敗できない」と続けた。

マリエがデザインしたTシャツの背中には、ブランドの成分表が掲載されている

芸能人として活躍していたが、いきなり子どもからの夢であったデザイナーになりたいと言いだし、進路を変えたとき、多くの人から、「好きなことでは食べてはいけない」と忠告を受けたという。

さらに、留学生の専門学校でも、ある講師から「好きな服はデザインするな」と強く指導を受けた。その意図は、「大量生産の時代に、自分の好きな服に固執するデザイナーは食べていけない」ということだ。

マリエは、「私はその言葉は大嫌いだった。これからの時代はそうではない。好きなことに努力を重ねることでお金になる。そうすることで、ナチュラルに気持ちの良い生活を送れるようになる」と話す。

だが、ここでマリエが何度も口にした好きなことは、「楽なこと」ではない。「好きなことだからといって、気楽にできる訳ではない。アップサイクルでも、コストも、手間もかかる。だから実際、やっている人は少ない。悩み過ぎて、早朝に目が覚めてしまうこともある」と明かす。

ファッションを通して、好きなことを貫く「生き様」を発信する

それでも、「自分を信じている」。

「好きなことをして、それがビジネスになることを見てもらい、輝きたいと思っている」と前を向く。

PASCAL MARIE DESMARAIS

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