【高校野球】元仙台育英・佐々木氏が学法石川の監督に就任 「福島の歴史を変えられたら」

就任会見を行った学法石川・佐々木順一朗新監督【写真:高橋昌江】

ヤクルト由規、ソフトバンク上林ら多数のプロ野球選手を輩出

 学法石川(福島)の監督に就任する佐々木順一朗氏の記者会見が9月29日、同校で行われた。佐々木新監督は「最終的には生徒も親御さんも『学石に来てよかったな』というチームにしたいですね。監督だから、みたいに威張る感覚ではなく、一緒に肩を組んで楽しくできればいいなと思います」と話し、選手、保護者、スタッフ、OB、学校などと一体となり、チームを作っていくことを語った。

 佐々木新監督は仙台育英で1993年からコーチを務め、95年秋から監督として指揮を執った。その間、春のセンバツ大会6回、夏の選手権大会13回の出場を誇り、甲子園通算29勝19敗。01年センバツ大会、15年選手権大会では準優勝。明治神宮大会は12年と14年に優勝、12年は大阪桐蔭との両校優勝だったが、国体も制した。

 ヤクルト・由規投手やソフトバンク・上林誠知外野手など、多数のプロ野球選手も輩出。佐々木新監督の人柄と、ミラクルを起こす試合内容にファンは多かったが、昨年12月に発覚した不祥事の責任をとって監督を辞任。今年3月、仙台育英を退職していた。

 学法石川は76年春夏連続出場を皮切りに、春3回、夏9回の甲子園出場がある。元大洋の遠藤一彦氏や元ロッテの諸積兼司氏などがOB。しかし、99年夏を最後に聖地からは遠ざかり、今夏は3回戦敗退。春秋はいずれも8強止まりだった。

 会見に同席した森涼理事長は「古豪復活をかけて、佐々木先生を招聘したというのが第一の目的であります。また、若いスタッフの成長も見込んで、佐々木監督に指導していただこうという思いもあり、招聘したわけであります」と話した。現在の伊東美明部長と上田勇仁監督は学法石川のOBで32歳の同級生。コーチ陣も2、30代と若い。佐々木新監督が就任後、現在の指導スタッフはそのままで、上田監督はコーチとなる。

 佐々木新監督を招聘するきっかけとなったのは上田監督だった。きちんと話をしたことはなかったが、佐々木新監督の仙台育英監督時代の講演などを聞き、「『勝つのをやめてから、勝つようになってきたんだよね。運が付いてくるようになったんだよね』と言っていて、勝つぞ、勝つぞというスパルタではなく、それだなと思った」という。

コーチになる上田監督は「佐々木監督を呼んで、私も勉強したいと思いました」

 同じ高校野球の指導者として、選手が楽しそうに野球をやる仙台育英のチーム作りにも興味があった。「甲子園などをテレビで見ていて、楽しそうというか、自由というか、生徒が(いい意味で)勝手にグラウンドで野球をやっているのが見て分かりました。そういう野球を目指していたけど、そういう風に持って行くための経験もないし、話術もない。佐々木監督を呼んで、私も勉強したいと思いました」と上田監督。理想はあれど、手立てを見つけられずにいた。

 夏にオファーを受けた佐々木新監督は「仙台育英を辞めてから、しばらくは、と思っていた」という。心境の変化をこう話す。

「誠心誠意、誘っていただいたということがありました。非常にありがたい話だなと思いつつ、いろいろと調べていくと、学法石川が初めて甲子園に行った時が、僕が選手の時なんですね(東北高2年夏)。そういうご縁も感じた。また、今のスタッフから話が出たというのが僕は一番、嬉しかったところだったかもしれないですね。そういったところから決断して、やっていこうという風に決めたのは夏が終わったあたりです」

 冒頭の挨拶でも佐々木新監督はこのことに触れている。

「今まで監督だった方もコーチになったり、いろんなこと大変かなと頭の中で思ったのですが、上田監督から僕の名前を出していただいて、勉強して一緒にやってみたいということが最初だったと聞いております。その声を聞けば、僕の方も安心したというか、スタッフのみんなと一緒にやっていけるんじゃないかなと思った。今も一緒にやっていこうという話もさせていただきました」

 佐々木新監督にとっては、まさにゼロからのスタート。チームの現状に飛び込むこと形になる。仙台育英の監督時代に目指していたのは、選手も保護者もスタッフも、みんなが喜びを分かち合えるチームだった。15年夏の準優勝後、当時の選手、保護者にこんなことを話している。

「ここの野球部には『優勝しろ』とか、『勝て』とか、そんな目標はないというのも、そっちの方が難しいんだよ、ということです。甲子園で優勝するのは、実は簡単なのかもしれない。僕は、本当に今でも思っています。でも、みんなが1つになるなんてことは、永遠のテーマだと思っているので、だったら、難しい方に挑戦しようと、今の目標を立てています。みんなで苦労したこの3年間を経て、これからも挑戦し続けてもらいたいなと思います」

仙台育英時代はチームの崩壊を経験

「優勝」や「日本一」を目標にしていた頃、宮城大会を制して甲子園出場が決まった直後にスタンドで応援する部員が喜んでいなかったことがあった。チームの崩壊を経験。その後、「いい親父になれ」の理念を掲げ、再スタートを切った。

「日本一になれなかったら負け組のような感じになるわけですよね。でも、そうじゃないだろう、と。野球で今年、優勝したところはどこかとか、何回戦で勝ったのはどこかとか知っている人って少ない。電車も普通に動くし、世の中は何も変わっていない。なんだか、そういうことをいっぱい見ていると、野球をやっているから偉いんだぞみたいな顔をするのが一番、嫌いだという人間になっていった。そんな時、目標を『勝ち』にしていること自体、ダメなんじゃないかなと思った。

 だから、グラウンドでも勝利に結びつく目標を全部、外したんですよね。『いい親父になれ』とか、そういったことをやりだした。最初はよくわからなかったんですけど、よかったなと思います。みんなが明るくなったし、作業をやる時も真剣にやるようになった。レギュラーでもレギュラーじゃない人も仲良くなりだした。ただ、そのために負けてもいいということは言っていないわけでね。だから、親父になるための高校時代の修行の1つとして、目標として、『甲子園に出てみたいな』とかいうのがあって然るべきだと思います。でも、行けなくても、その理念は変わりません」

 時代の変化とともに指導方法にはいつも考え巡らせてきた。今は「右向け右」の時代ではないと、ともに歩むスタイルで成果を出してきた。学法石川でも価値観を共有しながらチーム作りを進めていくつもりだ。

「僕がやってきたことが、まだ学法石川の生徒、そのご父兄の皆様、学校、OBの皆様、いろんな方々に合うかどうかはまだわかりません。これからインタビューをしたり、いろんな話をしたりしながら、どれが合って、どれが合わないのか、また、どういう言葉が合うのか、合わないのか、そういうことも僕のつたない頭ではありますが、一生懸命考えて、みんなで一緒に話し合って、いい野球部を作って、そして、福島の野球の歴史を少しでも変えられたらいいなと思っています」

福島県は聖光学院が夏の甲子園12年連続出場中

 福島県は聖光学院が夏の甲子園に12年連続で出場中。「聖光1強時代」と言われているが、聖光学院・斎藤智也監督とも旧知の仲で、ともに東北地方を盛り上げてきた。「聖光学院の時代を打破したいか」と問われると、佐々木新監督はこう話した。

「それはとても大それたことなので、そういうことではなく。他の高校も打倒聖光学院でいると思うので、その仲間に入らせていただくという感じかなという風には思います。ただ、甲子園でプレーしたいなと思うのであれば、途中でやっぱり通らなくちゃいけないところが必ずあるなというのがイメージ的には強いなと思います。それでも、聖光学院が全てとは別には思ってはいません。ただ、みんなでいい思い出をいっぱい作ろうと思ったら、やっぱり、そこに立ちはだかる敵がいるんだなという感覚は他の高校と同じだと思います。今までやってきたスタッフの方もやっぱり、その思いは同じだったと思うので、それをより一層、みんなで協力して何かしらの手立てをみんなで考えていこうという風にしたいなと思います」

 チームはみんなで作る。そこは、どこの学校のユニホームを着ようとも不変のものだ。

“仙台育英の佐々木監督”といえば、「本気になれば 世界が変わる」と「運命を愛し 希望に生きる」がモットー。今年、野球シーズンが始まった頃から気持ちに変化があり、高校野球や大学、社会人野球、プロ野球と野球場へ足を運び「やっぱり、野球いいな」と思ったという。

 東京6大学を観に神宮球場にも足を運び、お盆には福岡へ旅行し、教え子であるソフトバンク・上林の試合をヤフオクドームで観戦。上林が今季、福岡と東京を拠点とするユニット「イーシス」から提供を受けている登場曲の『HERO』にも「運命を愛し 希望に生きる」と歌詞がある。上林が座右の銘としているからだ。上林に限らず、多くの教え子の中で佐々木新監督の教えは生き続けている。学法石川の監督就任にあたり、現巨人の志田宗大スコアラーや巨人・橋本到外野手をはじめ、教え子の多くは、こう言って恩師の背中を押したという。

「先生、こういう時こそ、“運命を愛し、希望に生きる“ですよね」

「そうだよな、いろんなことがあっても頑張らないとなと、逆に教え子から学ばせてもらった。僕が教え子にいろんなことを言ってきたが、今度は僕が教え子からそれを悟らされたというか。それがものすごく、嬉しく感じました。なんか、もう1回、頑張れるなと思えた1つでもあります」

 就任翌日の11月10日には59歳の誕生日を迎える。「この歳になって、もう一度、一生懸命できるということに非常に喜びを感じています」と“学法石川・佐々木監督”。数か月前まで重かった「運命を愛し 希望に生きる」が再び灯りはじめた。(高橋昌江 / Masae Takahashi)

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