【山九、創業100周年】「官営八幡製鉄所」向け、港湾荷役が創業の原点 プラント建設・操業支援などで鉄鋼業に貢献

 山九が1日、創業100周年の大きな節目を迎える。北九州で発祥し、官営八幡製鉄所向けの港湾荷役作業などを原点に歩み続けて1世紀。現在は物流、プラントエンジニアリング(機工)、構内操業支援という三つの事業を結びつけたユニークなビジネスモデルを築き上げ、鉄鋼や石油化学を中心に産業界の発展を多面的に支えながら時代を刻んでいる。

 山九は1918年(大7)10月1日に山九運輸として誕生。創業者の中村精七郎氏が興した海運業の中村組が、荷役会社の磯部組を買収し子会社として改組したのが始まりだ。

 中村組が当時、経営の柱としたのは八幡製鉄所向けの鉄鉱石輸送と徳山海軍燃料廠向けの無煙炭輸送という二つの海上輸送事業。これらの鉄鉱石、無煙炭を沖合いで船から艀(はしけ)に積み替える本船作業、艀から揚陸する荷揚作業などを山九運輸が担っていた。

 その後は港湾荷役にとどまらず、顧客の要請に対応しながら設備の建設・保全といった機工事業、構内物流事業などにも進出。特に鉄鋼メーカー向けで大きな事業に成長したのが高炉の建設・改修工事だ。

 1948年(昭23)の八幡製鉄所の洞岡1号高炉、東田第3高炉の改修を皮切りに改修工事を次々と担当。1962年には同所・東田1号高炉で初の新規建設案件を受注した。ブラジルのウジミナスの高炉改修など海外での案件もこなし、これまで手掛けた高炉建設・改修は101基にのぼる。

 高度経済成長期の1960年代には、国内で新立地の製鉄所建設を相次ぎ打ち出した当時の高炉6社などから設備の建設や操業、メンテナンス、製鉄所構内の生産物流など数多くの作業を請け負い、日本鉄鋼業の飛躍的な発展を支えた。

 技術・技能も常に磨き続けてきた。高炉の建設・改修では1970年代から炉容積4千立方メートル級の大型高炉が登場したのに対応し、重量物輸送や鉄皮の自動溶接技術などを開発。98年には当時の川崎製鉄・千葉製鉄所(現JFEスチール東日本製鉄所千葉地区)の第6高炉で工期を従来から半減させた「大ブロックリング工法」での改修に世界で初めて成功した。

 大きな転換点を迎えたのが海運不況に見舞われた1980年代。船舶の大型投資を急いだ親会社の中村汽船(旧中村組)が86年に倒産。その負債を負担した山九は、当時の新日本製鉄などの支援を受けながら試練を乗り越え再建を果たした。

 現在はアジアを中心に40を超す海外現地法人があり、国内外で3万人が働く。物流、プラントエンジニアリング、構内操業支援という三つの事業を結びつけた一貫のサービスが強みだ。プラントの企画段階から設計・建設、試運転までトータルにサポートし、さらに顧客の工場の操業支援や設備メンテナンス、調達・生産・販売に関わる各種物流にも対応する。

 高炉改修で培った技術・ノウハウを生かした提案が評価され、2014年にはコークス炉の更新工事にも乗り出した。

 16年4月には30年間社長を務めた中村公一氏が会長となり、公一氏の長男の公大氏が6代目の社長に就任した。

 足元の業績は好調で、17年度の連結売上高は5319億円と7期連続で過去最高に。国内拠点の製造基盤整備に取り組む高炉メーカーなどの旺盛な工事ニーズに対応しており、日本鉄鋼業の競争基盤の強化を後押ししつつ、2世紀目の第一歩を踏み出す。(石川 勇吉)

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