【世界の街から】住民虐殺、ざんげの旅

シベリア出兵のイワノフカ村

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ロシア極東アムール州イワノフカ村で行われた慰霊祭に出席した僧侶の横山周導さん(左)=8月24日(共同)

 1918年から始まったシベリア出兵時、旧日本軍が300人以上の住民を虐殺したロシア極東アムール州イワノフカ村を訪れた。20年以上も慰霊訪問を続ける岐阜県揖斐川町の僧侶横山周導さん(94)に8月、同行させてもらったのだ。

 日本から飛行機と鉄道、バスを乗り継ぐ長旅だ。高齢の横山さんにとって負担は少なくない。それでも前村長で旧知のゲオルギー・ウスさん(94)に「ずっと忘れずにいてくれて、ありがとう」と出迎えられ、笑顔で応じていた。

 村には三つの慰霊碑が点在する。小屋に押し込められ焼き殺された36人に向けた碑。銃殺された子供や女性ら257人への碑。そして横山さんやウスさんの尽力で95年に完成した「哀悼の碑」。横山さんは静かに頭を下げ、読経をささげた。

 日本ではシベリア出兵はなじみが薄く「忘れられた戦争」とも呼ばれる。7年間続き日本側だけで3千人以上も死亡したが、第2次大戦後のソ連によるシベリア抑留の陰に隠れがちだ。

 横山さんも抑留経験があるが、この村の虐殺を長らく知らなかった。日本人抑留者の埋葬地を探すため91年に村を訪れた知人から初めて聞かされた。「無知を恥じた」と、ざんげの旅を始めた。

 出兵開始から100年の節目となる今年の慰霊祭では村の子供たちの姿が目立った。日本からも中学生が参加した。白い衣装に身を包んだ村の女性が歌う。「(日本を)責めてはいない。だが忘れることは許されない。忘れて生きることはできない。イワノフカの傷はそれほど深い」。憎しみを超えた悲しい歌声が青空に響いた。(共同通信=ウラジオストク支局・飯沼賢一)