映画の世界に飛び込んでみた VRの未来は

「ショートショートフィルムフェスティバル&アジア」の会場でVR映画を鑑賞する人々

「仮想現実(VR)」と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。

 ゲームやアイドルなど、いろいろあると思うが、実は今、VRの世界では「映画」が熱い。

その魅力を言葉で説明するのはなかなか難しいのだが、ひと言で言えば「物語の世界に入り込んだような感覚」を味わえること。ウルトラマンと一緒に空を飛び、共に怪獣と闘う…。映画で異世界が“体験”できる未来は、すぐそこまで来ている。

 専門家によると、VR映画の定義は(1)専用のヘッドマウントを着けて鑑賞する(2)物語がある(3)没入感がある―の3点。と言われても何のことやら全然ピンとこなかったため、まずは体験しようと、6月に東京で開催された映画祭「ショートショートフィルムフェスティバル&アジア」に足を運んだ。今年新設された「VR部門」の作品上映が行われていたのは六本木のカフェスペース。ゴーグル型のヘッドセットを頭に装着した数十人が、無言でそれぞれ虚空を見つめる様はかなりシュールで、はっきり言って、生き物としては完全に退化した感がある。「自分もあのような無防備な姿になるのか…」と思うとなんとなく気恥ずかしさを覚えつつ、おずおずとヘッドセットを装着する。

 視界が遮られ、映像が始まった瞬間…足元の床が消えた! まるで宇宙空間に放り込まれたかのような浮遊感。やがてその空間に1人の女性が登場し、彼女と母との過去の思い出が、色とりどりの手描きの線で描き出されていく。ドローイングといっても空間には奥行きが感じられ、なおかつ映像は360度に広がっている。具体的に言うと、振り返ってもその「世界」は終わらない。何なんだ、これは…。物語であり、アートであり、ミュージカルのようでもあった。私は、口をポカンと開けていたかもしれない。鑑賞したのは「Dear Angelica」という米国のショートフィルムだったが、これまで見た映画とも舞台ともまったく違う、新しい体験だった。

 そんなVR映画を、手軽に楽しむための商品も登場している。

 画期的と言われているのが、米フェイスブックが今年5月に発売した「オキュラス・ゴー」というVR用のヘッドセットだ。2万3800円からと比較的安価で、PC端末と接続しなくても単体でVR映像やゲームが楽しめる。早速試してみたところ、これがなかなかすごい。

 例えば「ジュラシック・ワールド」のVR版。うっそうと生い茂ったジャングルを進んでいると、恐竜が自分のすぐ脇をすり抜け、走って行く。鳴き声のする方向を見ると、やぶの中から恐竜が飛び出してくるなどインタラクティブな仕掛けもあり、まるで自ら歩いて探検しているようなわくわく感とスリルは、映画のそれとは別物と言える。

 コンテンツは、「オキュラス・ストア」という独自のアプリケーションからダウンロードする仕組み。物語性のある映画だけでなく、スポーツ観戦や音楽のライブ鑑賞など、さまざまな可能性がありそうだ。家のソファでくつろぎながら、世界中の絶景を“旅する”ことも、もはや夢ではない。

 とはいえ、VR映画が普及するためには数々のハードルがある。

 まずは技術的な課題。ヘッドマウントの重さや、没入感による「酔い」などの問題が解消されない限り、長編映画をVRで鑑賞するのは身体的な負担が大きい。

 そして作り手の問題だ。専門家によると、各国の国際映画祭では次々に「VR部門」が新設され、米国だけでなく、中国や韓国からも多くの作品が出品されているという。一方、日本ではVRといえばゲームが主流。従来のスクリーン映画の監督たちがVR映画に挑戦するための支援も、その作品を公開するための場も、まだ不十分だ。

 スクリーン映画の監督たちは、VRという新潮流をどう受け止めているのだろう。

7月に埼玉県川口市で開かれた「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭」で、VR映画を巡る対談に登壇した押井守監督の話は興味深かった。

 押井監督曰く、「時間軸に沿って物語を見せていくという従来のスクリーン映画と、ある種の快感を体験させるVR映画はまったく別物」。VRでは見る人の視線をある程度固定しなければ物語は成り立たない。その意味でも「狭い所に閉じ込められるホラーとか、アダルト系は向いているかもね」という指摘に、笑いながらもなるほど、とうなずいてしまう。

 押井監督はこうも言った。「技術は必ず先行し、人間の感覚はそれに遅れてついて行く。技術で何ができるかではなく、問題は人がそれを使ってどうしたいかだ」

 これはかなり深い問いだ。私たちはどんな体験をし、そこから何を感じたいのか。VRが私たちの聴覚や視覚を新たに開発してくれるわけではなく、結局は人間の感覚に根ざしたものしか生まれてこない。技術はそれを拡張するだけだ。

 もしかしたら、死ぬ前にVRで自分の人生を振り返るなんていうサービスが生まれるかもしれない。ああ、でもそんなものを見せられたら、きっと後悔ばかりで死んでも死にきれない。(安藤涼子・共同通信記者)

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