五島産業汽船社長「計画が甘かった」 販路拡大、経営圧迫

 「すべては私の計画の甘さ、判断の遅さで、後手後手に回った」-。突然の運休で島民らを混乱させた五島産業汽船(新上五島町)の野口順治社長は、4日の県庁での記者会見で、憔悴(しょうすい)した表情でこう謝罪した。五島-佐世保航路を開設するなど、離島住民の期待を背負い、航路を拡大していった同社。新上五島町などに構成資産がある「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産に登録され、交流人口拡大に追い風が吹き始めた直後の経営破綻だった。
 「住民の強い要望」で2015年4月に参入した佐世保-上五島(有川)航路。他社が撤退した赤字路線で、結果的にこれが経営上のネックとなった。
 設備投資なども重くのしかかり、8月中旬に1回目の不渡りを出した。「10月1日午後3時までは債権者への交渉に努めたが、かなわぬ状況になった」。「夜逃げ」との指摘があったことについては、2日以降も関係先と連絡を取るなどして事業継続を模索していたとした。人口減少などで経営環境が厳しくなる中、「30年間に渡り離島航路の運営に懸命に取り組んできた」(野口社長)が、状況は好転しなかった。
 突然の運休となった2日、港では張り紙を前に戸惑う人たちの姿が見られた。窓口も閉ざした理由について、「過去に関西航路を閉鎖した際、利用者と職員とのトラブルの経験から安全面を優先した」と釈明した。
 会見終了後、新上五島町に向かい夕方から町役場で江上悦生町長ら約50人に経緯を報告。「海上タクシーとして始め、ここまで育ててもらった。本当に迷惑をかけて、申し訳ない」と声を詰まらせた。

「すべては私の計画の甘さ」と話す五島産業汽船の野口社長(左)=県庁

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