地元愛貫き、鷹一筋でプロ生活全う ホークス本多、6日に現役ラストゲーム

ソフトバンク・本多雄一【写真:藤浦一都】

指揮官は1番・セカンドでのフル出場示唆

 6日、ソフトバンクの本多雄一が13年間の現役生活にピリオドを打つ。“ポンちゃん”の愛称で多くのファンに愛された男は、この日の西武戦を最後に背番号「46」のユニフォームに別れを告げる。

「1番、セカンド、本多」。本多は、6日のゲームの1回裏、このアナウンスに導かれて最初の打席に入ることになるだろう。直後にライトスタンドからは「闘志たぎらせ~」というファンの大合唱が聞こえるはずだ。

 工藤公康監督は「首のこともあるけど、問題なければフルでいってもらいます。(打順は)みんな1番を期待してるんでしょ? ファンのみなさんのイメージも強いと思いますしね」と、1番・セカンドでのフル出場を示唆した。

 3日の引退会見で「最後は思う存分楽しんで、感謝の気持ちを持って臨みたい」と語った本多は、これまでどおりの最高のパフォーマンスを見せるべく、4日もヤフオクドームで練習に励んでいた。

 2度の盗塁王を獲得するとともに、ゴールデングラブ賞も2度受賞。WBC日本代表の一員にもなった。チームの顔としてだけでなく、リーグを代表するプレーヤーとして多くのファンを魅了してきた。

実直な人柄は現役生活通じて変わらず

 しかし、パフォーマンス以上にファンに愛されたのが実直な人柄だ。打点を挙げた直後に守備につく際には、ライトスタンドから聞こえる「本多コール」に対して、直立不動の姿勢から丁寧に帽子を取って深々と頭を下げる。キャンプ地や筑後でも、時間が許す限りサインに応じる。ベテランの域に達しても、その姿勢を変えることはなかった。

 前年に東日本大震災が起こり、復興の年とされた2012年。自主トレの際に本多に話を聞く機会があった。

「野球人に限らず、復興のために1人ひとりの役目ってあると思うんですよ。それは人の気持ちをわかってあげられる人間になること。そして、その気持ちを些細なことでもいいから行動で表現していくことだと思います。そうすれば、気持ちはきっと届くと信じています」

 その後、九州も地震や豪雨という災害が続いたが、本多は野球教室で訪れた被災地の子どもたちを試合に招待するなど、文字通り「行動で表現」してきた。今年招待した熊本の試合はあいにく雨天中止となったが、球場前で招待した子どもたちと記念撮影に応じて再会を喜んだ。

鹿児島最後の打席はサヨナラ呼ぶヒット

 4月15日、ソフトバンクは鹿児島での公式戦を行った。鴨池野球場では、今年も鹿児島実業高時代の監督・久保克之さんの激励を受けた。ポンちゃんスマイルを見せながらも、姿勢は直立不動だ。

 その試合は、9回裏に柳田悠岐が豪快な逆転サヨナラ2ランを放って勝利したが、劇的弾の呼び水となったのは本多の鮮やかなレフト前ヒットだった。引退を決意した今、それが第2の故郷・鹿児島での現役最後の打席となった。

 2014年、本多は国内FA権を取得した。複数年契約が満了となった2016年オフ、本多は「福岡県出身者として地元愛だけで野球はできませんが、逆に『ずっとホークスでやってくれ』と言われるような活躍をしないといけないと思います」と語ってソフトバンクに残留。「地元愛だけで野球はできない」という言葉に本多の野球に対する真摯な姿勢が垣間見えたが、結果的には地元愛を貫き、ホークス一筋で現役生活を終える形となった。

 また、入団時からつけてきた背番号「46」を最後まで背負い続けた。レギュラーに定着した2008年9月、「この先、もしも球団から1桁の番号をつけてもいいと言われても僕は46番のままがいいですね。できればずっとこの番号のままでプレーしたいです」と語っていた。あれから10年。背番号に対する熱い思いも最後まで貫き通した。

 プロ通算1313試合目となる現役ラストデー。多くのファンがヤフオクドームで、テレビの前で、背番号「46」の最後の雄姿を目に焼き付けることだろう。台風の影響が気になるところだが、いずれにしても“その日”はもうすぐやってくる。(藤浦一都 / Kazuto Fujiura)

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