教育勅語発言 文科相たる資質に欠ける

時代錯誤の認識である。しかも、教育行政を担う文部科学相の発言だというから断じて看過できない。

内閣改造で初入閣した柴山昌彦文科相が就任会見で教育勅語について「現代風にアレンジした形で、今の道徳などに使えるという意味で普遍性を持っている部分がある」などと語った。

その一部にせよ、要は教育勅語を評価する発言だ。「道徳教育に使える」「普遍性を持つ」と踏み込んでおり、文科省のトップとしてあまりにも不適切ではないか。

野党は「認識違いが甚だしい。昔だったらすぐクビだ」などと猛反発し、今月下旬に召集される臨時国会で、柴山氏と任命した安倍晋三首相の姿勢を追及する構えだ。

柴山氏はきのうの閣議後会見で「教育勅語を復活させると申し上げたわけではない」と釈明したが、同時に「友人を大切にするとの考えは現在の教育にも通用するということで申し上げた」とも述べた。

教育勅語には「いいことも書いてある」という論法である。残念ながら、過去も同様の見解が閣僚など政治家から繰り返し発信されてきた。

確かに教育勅語には、父母への孝行や夫婦の和、博愛など道徳の項目を記している。しかし、教育学の専門家が指摘するように、それらは「天壌(てんじょう)無窮(むきゅう)ノ皇運(こううん)ヲ扶翼(ふよく)スヘシ」という文言に掛かる。つまり、天皇家の繁栄に臣民は尽くすべきだ-という主権が天皇にあった時代の皇国史観であり、国民主権の現在に通じるものではあり得ない。

教育勅語が「忠君愛国」の軍国主義教育と結び付き、国民を破滅的な戦争に駆り立てた戦前の教訓を忘れてはならない。

1948年に衆院で「教育勅語等排除に関する決議」、参院で「教育勅語等の失効確認に関する決議」が可決、成立している。過去に国会決議で「排除」「失効」した文書なのに、なぜ「亡霊」のようによみがえるのか。危うい戦前回帰の動きだと批判されても仕方あるまい。

「現在の教育にも通用する」道徳の項目があるというのなら教育勅語を持ち出さずとも、それ自体を教えれば済むことだ。

道徳は今春から小学校で「特別の教科」となり、検定教科書や記述による評価が導入された。中学校でも来年度から同様の制度が始まるが、この文科相の下で大丈夫かと心配になる。

文科省は天下りや接待問題で2代続けて事務次官が辞任に追い込まれ、混乱の渦中にある。就任早々、自らの発言を巡る釈明に追われる大臣に組織立て直しの使命は果たせるのか。それも懸念せざるを得ない。

=2018/10/06付 西日本新聞朝刊=

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