【平成の長崎】諫早湾干拓事業 湾奥部を「潮止め」 最大級干潟消滅へ 平成9(1997)年

 国営諫早湾干拓事業で、農水省は1997年4月14日午前、湾奥部を潮受け堤防で締め切る「潮止め工事」を実施した。潮止め区間は、北高高来町と南高吾妻町を結ぶ全長7050メートルの同堤防のうち、潮の出入り口がある開口部1200メートル。潮止め工事により湾奥部の国内最大級の干潟は消滅。堤防内は淡水化が進み、ムツゴロウなど干潟の生物が死滅するのは確実となった。
 同工事の式典は同10時45分から、潮受け堤防の南部排水門(我妻町寄り)につながる開口部そばであり、田村・九州農政局諫早湾干拓事務所長や高田知事、諫早市など周辺自治体の首長、湾沿いの農業者、湾奥部の漁業権を放棄して解散した元漁協の代表ら約150人が出席。
 田村所長が「干拓地が、21世紀の長崎県農業を先導する役割を果たすと確信する」とあいさつ。高田知事は「潮止めは地域住民が1日も早い完成を望んでいた。これで総合防災機能が発揮される」と潮止めの意義を強調した。
 同11時半、田村所長や高田知事らが鋼板293枚を落下させるボタンを押した。鋼板は開口部の両端から中央に向かってドミノ倒し方式で海中に次々と落ち、45秒間で潮流を遮断した。
 同事務所は今後、鋼板の周囲に石材を投入し築堤作業に入る。潮受け堤防の大部分は現在、海抜3メートルの高さでつながっており、約1年間かけて同7メートルまでかさ上げして完成させる。 
(平成9年4月15日付長崎新聞より)
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