【平成の長崎】爆心地公園に「母子像」設置 被爆者ら見守る中 平成9(1997)年

 長崎市は1997年7月16日、同市松山町の爆心地公園に被爆50周年記念事業碑(母子像)を設置した。市民団体の反対で、設置場所は原爆落下中心地点から同公園内の国道側一角に変更されたが、この日、爆心地での設置に異議を唱える被爆者らが作業を見守りながら抗議行動を展開した。
 高さ約5メートルの母子像は、大型トレーラーで公園に搬入後、クレーンによる設置作業が行われ約1時間で台座(高さ約4メートル)に据え付けられた。作業には制作者の富永直樹氏(84)が立ち会った。
 母子像は、金ぱくを下地にしたブロンズ色仕上げ。富永氏の解説によると「母の胸に眠る傷心の子供の姿」によって21世紀に羽ばたく日本の未来、平和への決意を表現している。
 同市は当初、母子像を中心碑(三角柱)に代えて中心地点に設置予定だった。だが、約10カ月にわたる市民団体の反対運動で市政は混乱。市は今年2月、設置場所を同地点から約70メートル南西の国道側一角に変更し整備事業を進めていた。
 公園は既に三角柱を中心とした円形広場などが完成しており、市は来月1日から一般に開放する。
(平成9年7月17日付長崎新聞より)
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【平成の長崎】は長崎県内の平成30年間を写真で振り返る特別企画です。

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