横綱 輪島の時代「黄金の左」 追悼 写真特集

輪島大士さん

 大相撲の第54代横綱輪島で、「黄金の左」と呼ばれた左差しの攻めにより史上7位となる14度の幕内優勝を果たした輪島大士さん=本名輪島博=が死去した。70歳。

 2015年11月に死去した第55代横綱北の湖としのぎを削って「輪湖(りんこ)時代」を築いた。1981年引退した後は花籠親方となって部屋を継いだが、年寄名跡を借金の担保に入れたことが発覚し85年12月に廃業。プロレスに転向して話題となり、アメリカンフットボールで社会人チームの監督も務めた。(構成 共同通信=柴田友明)

 北の湖さんとの対戦成績は輪島さんの23勝21敗とほぼ互角だった。思い出の対戦として1974年名古屋場所を挙げていた。2015年11月、輪島さんは咽頭がんの手術で発声が困難だったため、北の湖さん死去の際に文書でコメントを寄せた。共同通信配信記事から、輪島さんの北の湖さんへの思いをまとめた。

 「お互いに病気と闘っていたが、先に逝かれて寂しい」「偶然、(北の湖さんと)ホテルのサウナで会い、『裸の付き合いだね』と笑った。その後食事に行き、酒は強かった」。

 その縁で北の湖さんからは毎場所、番付表が送られてきた。「昔のライバルが相撲界で頑張り続けていることが、とてもうれしかった。もらった番付表は全て取ってある」。そして「俺はもう少し頑張る。(北の湖さんには)よく頑張ったね、お疲れさまと言いたい」。

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1976年5月、横綱北の湖(右)と握手を交わす横綱輪島=蔵前国技館

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1974年7月、大相撲名古屋場所で横綱輪島(左)と対戦する大関北の湖=愛知県体育館

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大相撲九州場所で優勝し、賜杯を手にする横綱輪島=1980年11月

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