カネミ油症50年 インタビュー 企業存続を優先した国

支援者 藤原寿和さん(71)=千葉県市川市=

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 現在、台湾油症も含め情報収集、支援する日台(にったい)油症情報センターのセンター長を務めている。
 1990年代、ごみ焼却などで発生するダイオキシンが社会問題化した。関西に続く形で市民団体「止めよう!ダイオキシン汚染・関東ネットワーク」を仲間と立ち上げ活動するうち、カネミ油症の主因がダイオキシンであると知り、調べだした。ルポライターの明石昇二郎さんが書いた福岡県の油症被害者、矢野トヨコさんらの記事、それからトヨコさん著「カネミが地獄を連れてきた」に衝撃を受け、会いに行った。
 関東ネットでは、玉之浦で被害の聞き取りをしたのが最初。五島通いが始まり、2000年3月、水俣病研究の第一人者の医師原田正純さんによる自主検診を実施した。のちに発足したカネミ油症五島市の会の会長になった矢口哲雄さん宅では悪い血を吸い出す「吸い玉療法」を見せてもらい、黒い赤ちゃんの話とともに強い印象を受けた。
 未認定患者の掘り起こしに取り組むトヨコさんに付いていくと、寝たきりの被害者も多かった。国の全国油症治療研究班は実態を把握できていないと感じた。本来、食中毒事件は食べた人全員を被害者と認めなければならないのに、特殊な認定制度を導入し、多くが切り捨てられていた。
 油症の病像を明らかにし、あしき認定制度を改めるべきだという思いで02年、カネミ油症被害者支援センター(YSC、東京)を発足、活動してきた。国は救済より加害企業の存続を優先。被害者差別は今も厳然とあり、拭い去らないと被害者と名乗ることも、わが子に言うこともできない。
 医師の化学物質被害の知識が十分にないのも課題。50年がたつが、いろんな問題がいまだに突き詰められていない。

「救済より企業存続が優先された」と指摘する藤原さん=長崎市内