カネミ油症50年 インタビュー 無関心が次の被害生む 油症認定患者 下田順子さん(57)=諫早市=

 奈留島で小学校入学前後から、汚染油を家族で摂取し、皮膚症状や体調不良、いじめにも苦しんだ。大人になって死のうと思ったこともあった。
 集団訴訟では、5陣(85年提訴)の原告だった。70年に提訴した1陣をはじめ血眼になって闘っていたと聞いている。あれだけの被害を多くの人が受けたのに、最終的に原告側が訴訟を取り下げざるを得なかったことを納得することはできない。事件が葬り去られるという思いがあった。
 それで2005年のカネミ油症五島市の会結成記念のシンポジウムで、顔を隠し人前で証言した。隠しておきたかったけれど、訴えなければ何も変わらないとも思った。
 その後、実名公表し顔も出して証言。妹が泣いて反対した。でも自分自身が動かないと、この事件の全体は見えてこないと思った。後悔はしたくなかった。自分たちだけが苦しんできたと思っていたが、被害者の話を聞くと、それぞれ深刻な状況を抱えていた。
 社会は、油症を人ごとと思っているかもしれないが、化学物質による食品被害は皆に関わってくること。化学物質被害は後にならないと影響が見えてこない。無関心が次の被害を生み、被害拡大につながる。
 被害者救済を国は加害企業に全てやらせようとするが、カネミ倉庫のように中小企業だと限界があるから被害者は泣き寝入り。そこで手を差し伸べるのが国の役割だと思うが、無関心に近い。この国はずっといいかげんだと思う。
 健康を害されることは生活基盤が全て崩れてしまうこと。母親たちは「毒油を家族に食べさせた私が悪い」と自分を責めている。怒りの持って行き場もない。
 まだ未認定患者もたくさんいて、認定診査につながる油症検診が開かれれば受診に来ている。差別と偏見が今もある中で、受診は勇気のいること。「私たちも被害者だ」と心の中で叫んでいるように思える。認定患者という入り口にさえ立てず、もがいている。
 子どもたちにも影響が出ている。早く何らかの救済をしてほしい。

「国の姿勢は無関心に近い」と語る下田さん=諫早市内

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