頬に冷たい秋風を感じると、つい口ずさんでしまう歌がある。
ギルバート・オサリバンの『アローン・アゲイン(ナチュラリー)』。
私がデビュー翌年に連ドラ初出演した『時にはいっしょに』(山田太一脚本 フジテレビ1986年10~12月)で印象的だった挿入歌だ。
立秋から秋の終わりにかけて撮影したからだろうか。
当時の匂いは今でもよく覚えている。
たとえば、金木犀の香り。
秋の訪れを知らせる花の甘い香り。
あの香りには媚薬効果でもあるのだろうか。
一瞬匂うだけで陶酔し、ロマンティックな秋の気配に包まれる。
金木犀の花は“月の花”とも言われる。
月の雫とともに滴り落ちてきたかのような、あの小さくて可憐な橙色の花。
足元いっぱいに敷き詰められた金木犀のその小さな花に、より一層秋の気配を感じるのだ。
それにしても、秋の月はなぜあんなに美しいのだろう。
秋の空は、空気中の水蒸気が少ないから景色がはっきりすると言われている。
明るい星も少なく、月の高さの影響もあるだろう。
中秋の名月と言われるほど、一年の中で月が一番美しい秋。
ちょうどその頃、私は沖縄でまんまるのお月さまを眺めていた。
沖縄にもすっかり秋の気配が忍び寄っていた。
ついこの前まで三角ビキニ女子たちで賑わっていたビーチ。
大型台風前の影響などもあれど、海に浮かぶ空気いっぱいに膨らんだ大きな遊具はすっかりしぼんでたたまれ、三角ビキニ女子の姿はもうどこにもいない。
潮汐の海。
大潮の干潮になると長い時間をかけて現れる海の底。
浅瀬の礁池には、ナマコやヒトデ、大小異なる魚たち。
私はそこで、海を歩いたり、魚といっしょに寝そべったり。
海と溶け合う太陽を厭きるほど見つめたり。
まさに“海水浴”を愉しむ。
海の底を歩いたり、寝そべったりできるなんて、本当に不思議だ。
夕暮れの波打ち際、砂山をこさえて遊ぶ幼な子を見守る父。
潮がみるみる満ちてきて、波にさらわれあっけなく消えた砂山。
小さな手のひらで懸命に砂を掻き掬うも、砂山はもうかえらない。
火がついたように号泣する娘。
彼女はそこで初めて永遠というものがないことを知る。
はじまりがあれば終わりがあることを、知るのだ。
でも、終わりがあるから、また始めることもできるのだとも。
きょうも終わり、また明日が始まるように。
波のようにやってきた「さよなら」を迎え「またね」と、手を振るのだ。
旅の終わりの夜。
美味しそうなまんまるお月様を眺めながら、月の雫が落ちてきやしないか、おおきな口をあけて空を仰ぐ。
あ、甘い。
まさか。
甘い正体は、月影に咲くサガリバナの香りだった。
一夜限りの花、サガリバナ。
幻想的なその姿。その開花をみると、幸運が訪れるとも言われる。
不思議なもので、実家があるわけでもないのに、まるで実家以上の付き合いがある沖縄。
今年はいつになく、沖縄のひとつの時代の終わりとはじまりを垣間見たようなきがした。
奇しくも、県知事選直前。
あちこちで街宣する車や後援するひとびとにすれ違い、友人たちとの会話でも選挙の話題がよくあがった。
面白い選挙ポスターも見かけた。
沖縄県知事選は、玉城デニー氏とさきま(佐喜真)淳氏の一騎打ちになってしまったが、候補者4人のうちの2人のポスターに興味そそられた。
兼島俊候補は、怒りと闇と光を内包したようなデザイン性のある数種類。
覆面レスラーもどきなどもあり、斬新でとにかく目立つ。
目立つことは良し悪しあるにせよ、目立たないよりかはマシな気がする。
渡口初美候補のポスターの表情、モヤモヤとピンクの怒りのインパクトもすごい。
国際通りの発祥となったアニーパイル国際劇場の創設者で、沖縄のモノレール提唱者でもある高良一を父に持つ、琉球料理研究家。美味しんぼ第28巻にも登場。
とにかくこの二人のポスターのインパクトはすごかった。
そんな沖縄県知事選前に大型台風が本島上陸の予報。
台風慣れした沖縄県民ですらも、今回の大型台風「チャーミー」の威力には悩まされた模様。
選挙前にそのインパクト大のポスターやのぼりは撤去され、期日前投票には長蛇の列ができた。ぎりぎりまで選挙活動をしたかっただろうに、これでは期日前投票すら閉鎖される懸念も。
大型台風チャーミーは本島に猛威をふるい、沖縄全体をぐるぐるかき混ぜ、強烈な爪痕を残していった。
大規模停電に見舞われ、暗がりで開票するなんて区域もあった中、沖縄県知事選は玉城デニー氏が当選した。
報道記事では、若者たちと「カチャーシー」を踊る笑顔のデニー氏の姿があった。
カチャーシーとは、沖縄の踊り。
沖縄の言葉で「かき混ぜる」という意味のカチャーシー。
喜びも悲しみもかき混ぜて皆で分かち合う踊り。
両手を上げ、男は握りこぶしで、女は指の間をしっかりくっつけて踊る。
幸せを掴む、指の間から逃げてゆかぬよう、という意味が込められていると聞いた。
そうか。
選挙も台風も、よろこびも悲しみをもみんなで一緒に“カチャーシー”していく。
沖縄県民の底力をあらためて思い知らされた。
いろんな色が混ざり溶け合い変幻する秋の空。
一筋の線になって吹く冷たい風。
やがてそれらは幾重にも重なり、そぞろに秋は深まりゆく。
重陽の節句も近い。
栗ごはんなど炊いて、滋養豊富な秋の味覚を味わってみる。
秋味、はじめ。
からだも心もゆっくりと秋を纏う。
銀杏の実が落ちて、ふっくらと雀の子のような松茸が松の葉から顔をのぞかせる頃。
やがて街は色づき、秋色の帽子や足元には枯葉が舞い散る。
そんな小さな秋をいくつも慈しみながら、ゆっくりゆっくり何層にもなって秋色に染まってゆくのだ。
あなたもわたしも。