長崎と中国

 帰国後、当時の知事の久保勘一さんは「長崎と上海を結ぶ海底ケーブルの実現は、間違いないという印象を受けた」と胸を張った。1972年の本紙にそうある▲今から見ると大風呂敷ながらも、手応えがあったに違いない。中国との友好関係にとりわけ思いの強い久保さんを団長に、その年の10月、本県は公式訪中使節団を送った。日中国交回復からわずか1カ月後、全国自治体では初めてだった▲何年か前、当時をご存知の人たちに話を聞いたことがある。その頃の記事を近ごろ引っ張り出し、久保さんの他の、もう一人の“立役者”の言葉を読み返している▲久保さんの後継で、先ごろ亡くなった元知事、高田勇さんは83年、中国共産党の胡耀邦総書記(当時)が来県した折、総領事館の長崎設置をひそかに要望した。「胡総書記はね、『もうすぐ設置します』と断言したんだよ。いやあ、驚いた」▲翌々年に総領事館ができた。「長崎県がとことん中国と付き合った成果だね」。在任中、実に30回訪中した高田さんがしみじみ語っていたのを思い出す▲今年は日中平和友好条約の発効から40年。対中関係改善のため、安倍晋三首相は近く訪中するという。国レベルとは別と知りつつ、久保さん、高田さんならば今の日中関係を天からどう見ておられるかと、ふと思う。(徹)

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