【平成の長崎】小選挙区比例代表並立制 政策本位への転換図る 平成8(1996)年

 1996(平成8)年10月の衆院選が最初となった小選挙区比例代表並立制。94年3月、その導入が決まると、国会議事堂は拍手に包まれた。だが周囲の高揚感とは裏腹に当時、衆院議員だった初村謙一郎氏(64)はうっすらとした不安を感じていた。「有権者に敵味方の踏み絵を迫らなければならない。これまでよりもギスギスした選挙になるな…」
 初村氏は93年、中選挙区制最後の衆院選に長崎1区(当時)から立候補。「政治とカネ」の問題に国民の怒りは頂点に達し、細川護熙氏率いる日本新党などへの期待が高まっていた。同党から出馬した初村氏は細川氏と2人でやった長崎市内での街頭演説を振り返る。「歩道も高架橋の上も人で埋まった」。初村氏は定数5だった長崎1区を2位で初当選。自民一党支配に終止符が打たれ、細川氏を首相に非自民8党派連立政権が誕生した。
 細川政権が導入したのが二大政党制を目指した小選挙区制だった。一つの選挙区で同じ党の議員が複数立候補する中選挙区制が金権政治を招いたとの批判があり、政策、政党本位の政治への転換を図った。だが、間もなく、細川内閣は総辞職に追い込まれ、自民などが政権を奪取する。初村氏は96年、小選挙区制初の衆院選長崎2区に出馬したが落選。政界を引退した。
 あれから22年。小選挙区制で政権交代も実現したが「死に票」が多いとの問題は付きまとう。初村氏は言う。「多様性を求める日本人に、この制度は合ってなかったのかもしれない」(平成30年10月12日付長崎新聞より)
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【平成の長崎】は長崎県内の平成30年間を写真で振り返る特別企画です。

初めて小選挙区比例代表並立制で行われた衆院選の開票作業(1996年10月20日)=長崎市民体育館

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