第六回 一人の下級武士が「長篠の戦い」の分け目を変えた

ちょりーす! 今回が6回目ですか? この『歴史のふし穴』。ちょうどこの号が出る頃、我々THE BACK HORNがワンマンとしては10年ぶりに新宿LOFTのステージを踏んでるわけですね! こういうのもある意味、歴史ですよね〜。
はい、てなわけで今回は「この人がいなかったらあの有名な合戦もだいぶ様子が違ったのでは!?」という人のことを書いてみたいと思います。
時は戦国、天正3年(1575年)。
と書けば9割強の方が「ああ、長篠の戦いね」と察する通り、それです。あの織田、徳川連合軍が鉄砲隊を駆使して武田の騎馬軍団を打ち破ったのでお馴染みのやつです。
そもそもなんで長篠で戦があったか。
それはですね、当時、徳川方についてた奥平さんの長篠城に武田信玄の死後、武田家を継いだ武田勝頼が攻め込んだからです。武田勢15,000人に対して奥平さん、場内に500人だけっす。いくら川に挟まれた断崖絶壁の城、長篠城でもやばいっす。しかも囲まれてすぐ武田勢の攻撃で長篠城の食糧庫が燃えちゃいます。まじやばいっす。飯ないと持久戦ができないですからね、奥平さん。もってあと2、3日かと。この絶対絶滅の時に現れたのが今回の主役です。
鳥居強右衛門〈すねえもん〉。
下級武士だった強右衛門。このピンチの時、奥平さんに「自分、徳川の援軍呼んできます。泳ぎも得意なんで、この包囲網かいくぐって岡崎城に行ってきます!」と立候補。とにかくもう時間がない奥平さん、強右衛門に賭けます。
そして城の排水路から川に出て武田勢の目をかいくぐり、強右衛門、城外に脱出。ここで「脱出成功!」の狼煙〈のろし〉を上げて城内に知らせます。城内もこれに沸きますわな。
からの岡崎城までの65キロをダッシュ。疲労困憊の強右衛門ですが、そこで見たものはなんと織田の援軍と、徳川軍38,000!
「やべぇ! めちゃ頼もしい!! …けど、この大軍と一緒に城に向かってたら時間かかっちゃうな。いち早く長篠城にこの状態知らせんと、あいつら持ち堪えれんな!」と強右衛門さん。またダッシュで長篠城方面に報告に向かいます。まじ鉄人。元祖トライアスロン。そして城が見えるところからまた狼煙を上げます。2回目の狼煙は「援軍来るで!!」の合図と決まってたので、城内はまた沸きます。
ここで武田さん。さすがに2回も狼煙上がって城内沸いてるのでなんかおかしい。と周辺を捜索。そして強右衛門、捕まっちゃいます。
勝頼さんの前に強右衛門が引っ立てられます。そこで武田方の尋問で「援軍来たる」ってことを吐いてしまった強右衛門。すかさず勝頼さん、「やっぱ援軍来ないです。万事休すです。…って城内に聞こえるように叫べ。そしたら武田家に厚遇で迎い入れてやんよ」と。仕方ない、と了承する強右衛門。ほんで長篠城から丸見えの所に連れていかれます。そして強右衛門、叫びます。
「織田、徳川の大軍が援軍で来るぞ!! みんなそれまでの辛抱じゃ!! もうひと頑張り!!」
と。城内はこれで援軍が来ることを確信。士気がワッと上がります。
一方、激怒した勝頼さん。城から見えるとこで強右衛門を磔の刑に処します。しかし強右衛門さん。この死に様を見とけ! と言わんばかりの堂々とした態度で槍をガツガツ突かれます。これを見た城内の兵は余計に奮起。勝頼さんとしてはいろいろ誤算です。
結果、城は落とせず、少しして到着した織田、徳川連合軍は設楽原〈しだらがはら〉に陣を構え、さらに騎馬隊対策で馬防柵を建て、軽く堀まで掘って武田勢を待ち構えるのです。城も落とせず、背後に陣まで敷かれて行き場のない勝頼さん。織田、徳川連合軍に突撃するしかなく、鉄砲隊の餌食となり大敗するのです。
もし、強右衛門が「援軍まもなく来る!」を伝えられなかったら、城は間違いなく落城していたことでしょう。そうなると織田、徳川も優位な位置に布陣も出来ぬまま、歴史的「長篠の戦い」も違ったものになったのでは。それは一人の下級武士が作った歴史だったのです。
ちなみに強右衛門の一族はその後代々徳川方の家臣として重用され、江戸が終わるまでしっかり武士として仕え、現在まで脈々と続いているそうですよ。
あと、敵なのにその死に様があまりに立派! リスペクト! と武田家の家臣がその磔になった強右衛門を旗印にするという武士の胸熱エピソードも残ってます。
長篠城跡は現在もその要害を感じれるので城散策もおすすめです(半分以上サバイバル気分も味わえます)。
(挿絵:西 のぼる 協力:新潮社)

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