【平成の長崎】古代日韓航路 いかだでチャレンジ

平成8(1996)年

 古代の日韓航路を当時のまま航海し、航路の存在を証明しようと5月1日に韓国・済州島を古代いかだの復元船で出発した同島の詩人、蔡吉雄さん(52)らの探検隊が5月7日、長崎港の出島岸壁に到着した。悪天候のため、いかだの航海は途中で断念。支援船での日本到着となったが、隊員たちは「航海が可能であることは十分、確認できた」と一定の成果を喜んでいる。
 探検隊は蔡隊長、地元のダイバーら8人。いかだは丸太をつないだ船体に帆を張った構造で済州島では「テウ」と呼ばれている。長さ約6・5㍍、幅約3㍍。
 蔡隊長の話では約2000年前、済州島の人たちがテウに乗って東シナ海を渡り、日本に済州島文化を伝えていたという。蔡さんは仲間に呼びかけて探検隊を組織し、テウを復元。船には「詩人の船」と名付けた。
 1日午前、済州島東部の城山港を出発。海流と風を頼りに博多、唐津、佐世保、長崎のいずれかの港を目指したが、3日以降、強風などの悪天候が続き、4日朝、済州島沖約120㌔の地点でいかだを漂流させたまま、隊員は同行の支援船(約250㌧)に避難。
 6日午後、元の海域で漂流中のいかだを見つけ、航海を再開したが、天候が好転せず、約20㌔進んでついに断念。支援船にいかだを積み、一番近い長崎に入港。長崎港口からはボートに引かれたいかだで7日午後4時半すぎ、出島岸壁に接岸した。済州島ー長崎間約250㍍のうちテウで航海したのは約141㌔。
 蔡隊長は「完全に航海することができず残念だが、航路の存在が確認できてよかった」と成果を一定評価。一方、支援船の李君星船長は「天候の悪い時期で、変更を助言しようと思ったが・・・。7月ぐらいなら成功したかも」と話している。
 一行は9日夕、長崎を支援船で出港する予定。(平成8年5月8日付長崎新聞より)
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古代いかだの復元船で長崎港に接岸する探検隊のメンバーたち=1996年5月7日午後4時40分ごろ、長崎市出島町の出島岸壁

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