何だか熱い!ふうせんバレー 強豪チーム訪ね深層探る

垣根ない一体感 つなぐ思いやり

 「ふうせんバレーボール」という障害者スポーツをご存じだろうか。先月、長崎市で開かれた大会を取材し、「簡単なレクリエーション」という事前に抱いた印象が一変した。試合では車いす選手に向かって、健常者がためらいなくアタック、負ければ全員で悔しさをあらわにしている。何だ、この熱い感じ-。熱さの裏側を知りたくなり、長崎の強豪チームを訪ねた。

◆遠慮は無用
 ふうせんバレーは、健常者と障害者が交じってチームを編成し、同じコートに立つ。年齢、性別は関係なく、身体、知的、精神など障害の種類もさまざま。数ある障害者スポーツの中でも珍しい形態で、「バリアフリースポーツ」といわれる。
 訪ねたのは全国大会で3度の日本一を誇る「バット★ストーム長崎」。直径約40センチの競技用風船(ボール)の扱い方を教わり早速、試合形式の練習が始まった。ネットを挟んで対峙(たいじ)する車いす選手が両手を広げ、「さあ、来い」。遠慮は無用、そんな空気が漂う。
 思い切り打つと、ボールはふわりと上昇。コントロールは想像以上に難しい。何度目かにやっと芯を捉えた。そのボールが車いす選手の顔面に直撃。「やべっ」。こちらの気持ちとは裏腹に、相手チームは「よっしゃ」と喜ぶ。拾われたボールは自陣コートに打ち込まれ、得点を決められた。
 「次、次」。ハイタッチで励ましてくれたのは中村陽一さん(36)。中村さんは小学3年の時、脳血管の病「もやもや病」と診断された。病気の影響で今も片方の手足にまひが残るが「障害のあるなしに関係ない真剣勝負が楽しくて」。10年以上も続けている。
 メンバーにこつを聞くと「重要なのはレシーブですよ」。ふうせんバレーはコート上の6人全員がボールに触れ、10回以内に返すルール。車いす選手は基本的に健常者が介助する。誰がどの範囲まで動けるのか、何ができて、何ができないのか。仲間同士が相手を思いやらなければボールはきれいにつながらない。

◆交ざり合う
 チームの発足は13年前。バレーボール経験者の橋本俊彦さん(36)が大学時代、同級生で脳性まひの立野雄三さん(36)と一緒にできるスポーツを探し、ふうせんバレーに巡り合う。2人の友情をきっかけに真剣勝負を楽しむ輪が広がっていった。
 車いすを縦横無尽に押して回る濱田孝一さん(35)は、始めた当初、大会で負けて涙した。悔しさと同時に、垣根のない一体感に胸が熱くなったという。「こんなにいろんな人が交ざり合えるスポーツはない。まずは国体(全国障害者スポーツ大会)の正式種目になって、ゆくゆくはパラリンピックにも」と夢を語ってくれた。
 これまで障害者スポーツを見ると、偏見を持っていないつもりでも、やはり「障害があるのにすごい」という思いが先にあった。だが、今回は違う。「心のバリアフリーを考えるきっかけになった」と、そんなさわやかな感情ではない。練習中、いつの間にか誰が相手でも一切遠慮はなくなった。だから、だろう。3試合して1度も勝てなかった悔しさだけが強く残った。
 練習翌日、メンバーの一人からメールが入った。「その悔しさ!またおいで」。熱くなる理由が少し分かった。

◎ふうせんバレーボール
 バドミントンのコートを使用。選手は▽健常者、障害があってもプレーに支障なし=4点▽ある程度自力でプレー=3点▽部分的介助が必要=2点▽介助が必要=1点-と四つのレベルに分かれ、コート内の6人の合計を18点以下にしなければならない。「4点」選手は1~3人。県内ではレクリエーションとして活動しているチームも多数ある。問い合わせは振興委員会(電095・883・3326)。

健常者と障害者が協力してプレーするふうせんバレー。相手を思いやる気持ちがなければボールはつながらない=長崎市西山4丁目、ながさきワークビレッジ

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