八ツ場ダム周辺を歩く・2 変わるまち 思い交錯

 群馬県長野原町の八ツ場ダム水没予定地で最後の住民だった高山彰さん(65)は8月、国が造成した代替地に新居を建てた。中はがらんとしていた。今は町外で、兄の世話をしながら暮らしているという。「かみさんや娘とは別居中だから、いずれ独りで住む」と淡々と話した。
 移転の対象となったのは▽川原畑▽川原湯▽林▽横壁▽長野原-の5地区の470世帯。このうち堰堤(えんてい)に近い川原畑と川原湯は全域が水没し、反対運動が激しかったとされる。温泉街の川原湯では、生活基盤である温泉源が沈むのも重大な問題だった。

八ツ場ダム建設に伴う生活再建関連事業のイメージ図

 そこで群馬県は、ダム湖沿いの高台に代替宅地を造成し、地区ごとに移転する「現地再建(ずり上がり)方式」を提案。1985年、地元が合意したのをきっかけに反対運動は収束に向かった。

水没地域を最後に立ち退いた高山さん。ダムに近い代替地に新居を建てた=群馬県長野原町

 高山さんは、ダム計画が持ち上がった52年の翌年に生まれ、川原畑で育った。賛否を巡って地域や家族が分断され、疲弊するのを目の当たりにした。自らは、半ば諦めていた。
 だが2009年に政権が民主党に変わり状況が一変した。当時の前原誠司国土交通相が建設中止を宣言すると、小さなまちは「政権交代の象徴」になった。押し寄せた報道陣の前で正直な気持ちを明かした。「ふるさとは親のようなもの。ダムに沈まなくなるのがうれしい」。ただ、すでに多くの人々が計画を受け入れていた。父親には「面白がるな」ととがめられ、娘には「周りの空気読んでよ」となじられた。
 結局、民主党は11年に中止方針を撤回。自公政権の復活後、国は土地の強制収用を可能にする事業認定を申請し、本体工事に着手した。未買収の土地はどんどん減り、自宅近くの国道も閉鎖された。「まるで脅されているようだった」と振り返る。
 事業認定手続きの公聴会には喪服姿で出席した。「権力の思い通りにはならない」という、せめてもの抵抗だった。事業認定が告示される直前の16年2月、土地の買収に応じる契約を結んだ。
 2階の窓からは建設中の堰堤が見えた。「完成したダムを眺めて、涙を流しながら老後を過ごすさ」と皮肉っぽくつぶやいた。
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 川原畑の代替地から八ツ場大橋を渡ると、川原湯の代替地に行き着く。県が新たに源泉を掘削。代替地に湯を引き込み、温泉街の移転を可能にした。移転対象は5地区で最も多い201世帯(1980年当時)。「既存の地域コミュニティーを保持できる」というのが「ずり上がり方式」の触れ込みだったが、実際に移ったのは31世帯。人口は4分の1に減った。
 レストランを訪ねると、店主の水出耕一さん(64)が、移転前の川原湯の地図を見せてくれた。地図上の旅館や住宅が赤ペンで塗られている。集落から人が出るたびに塗ったという。

代替地に移転する前の川原湯の地図や写真集を広げ、当時を語る水出さん=群馬県長野原町

 2001年、水没予定地の住民と国は補償基準に調印したが、難工事で代替地の造成が遅れたことなどが影響し、多くが完成を待たずに故郷を後にした。「昨日まで普通に世間話していた人が、翌日いなくなる。しまいには自宅に戻る道中に家がなくなり、お客さんも来なくなった」。食堂の経営は厳しくなり、一度は休業して、働きに出た。14年末に代替地に移り、店を再開したという。
 20軒近くあった旅館は5軒に減り、03年まで年間20万人近くだった観光客数もここ5年は5万~6万人でかつてのにぎわいには程遠い。「正直、こんなに人が出て行くとは思わなかった。それでも、どんどん人がいなくなり空気がよどむようだったあのころと比べれば」と前を向く。
 川原湯温泉協会の会長、樋田省三さん(54)は「新しい川原湯ができるまで、時間がかかるだろう」と話す。ダム見学ツアーの好調で、にぎわいの兆しも見えてきた。「これから生まれる子どもは、今の川原湯がふるさとになる。彼らが自慢できる町にしなくては」
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 ダム湖周辺は付け替え道路や代替地の工事が進み、変貌しつつあった。激変するふるさとに割り切れない思いを抱える住民もいる。代替地に住むSさんは、匿名を条件に取材に応じた。
 自宅は、かすかに新築の香りがした。「立派な家ですね」と無意識に出掛けた言葉をのみ込んだ。「役に立つことは言えないと思う」と控えめなSさんに、記者は石木ダムの状況を伝えた。国の事業認定告示後も13世帯が現地で暮らしていること。収用手続きが進み、宅地を強制的に取り壊す行政代執行が現実味を帯びていること。住民らが望みを託した司法もダムの公益性を認めたこと…。
 聞き終えたSさんは静かに語った。「13世帯の人たちは正しいと私は思う。あの家を諦めて、手放したことが今でも悔しい」
 補償内容の説明に来た国交省職員に「こんな田舎の土地でこれだけのお金は普通出ませんよ」と言われた。「お金で買えないものをお金に換えさせられた。すきま風が吹き、ほこりだらけだったあの家を取り戻せるなら、喜んで全て返すのに」と、膝の上でぎゅっと拳を握り締めた。
 今も、前の家の夢を見る。目が覚めて新しい天井を見たとき、たまらなく寂しい。カーナビに登録した移転前の自宅をいまだに消すことができない。Sさんが帰りたいわが家は、夢の中か、画面の中にしかないのかもしれない。「こんな気持ち、分からないでしょう」。不意に問い返された。メモ帳に目を落としたまま、記者は何も答えることができなかった。

八ツ場ダム周辺の高台に造成された川原湯の代替地。水没地域から移転した旅館が並んでいる=群馬県長野原町

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