鉄川与助の人物像に迫る 子孫や識者ら意見交わす

 「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎、熊本の12資産)の世界文化遺産登録を記念したシンポジウム(新上五島町など主催)が13日、同町であり、同町の構成資産内にある頭ケ島天主堂(友住郷)などを手掛けた建築家鉄川与助(1879~1976年)について子孫や識者が意見を交わした。
 与助の孫で、大阪市在住の鉄川一男さん(55)ら5人がパネルディスカッションに登壇。一男さんは、横浜市で晩年の与助と過ごした。与助は「きばれ(頑張れ)」という言葉を好み、一男さんによく掛けていたという。97歳で亡くなる数週間前まで元気に過ごし、歩道橋も「すいすい渡った」と紹介。また仏教徒の与助が亡くなるとき「仏様が見える」と話したと明かし、「一生懸命生きたことが認められたのかなと遺族は捉えている」と述べた。
 他の登壇者も与助が手掛けた建築物の魅力や、カトリック信徒のため教会建築に尽力した背景などを語った。約260人が来場。建築学が専門の林一馬長崎総合科学大名誉教授による基調講演もあった。

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