山口鉄也「ずっと練習嫌い」が巨人の最出世投手になるまで

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2008年から2016年までの、9年連続60登板のプロ野球記録。育成から這い上がり、巨人軍で「最も出世した投手」といわれた山口鉄也が、10月5日、引退発表した。

育成ドラフト第1期生として、2006年に年俸240万円でプロ生活をスタート。2007年4月に支配下登録。2012年には、72試合に登板して防御率は驚異の0.84。47ホールドポイントで最優秀中継ぎ投手賞を獲得。8年目の2013年オフの契約更改では、ついに年俸3億2000万円にまで到達した。

育成出身選手の3億円到達は史上初の快挙。1年目から133倍のアップ率は、オリックス時代のイチローを抜いてプロ野球史上最高となった。

2012年、開幕24試合連続無失点のセ・リーグ記録(当時)に並んだ山口鉄也を、本誌はインタビューしている。当時、ことあるごとに「練習嫌いだった」と語っていた。

「中学のとき、変化球とか技術的なことも含め、野球を一から教わりました。そのころは練習が嫌いで、サボることばかり考えていましたね。あるとき先生に怒られ、外野に一人で呼ばれて、マンツーマンでノックを受けさせられ、野球の厳しさも教わりました。中学で菅沼務先生と出会わなければ、今の自分はないですね」(山口)

横浜市立菅田中学校の恩師・菅沼務氏は「体が細く、連投ができなかったのですが、力は素晴らしかった。卒業前には神奈川の強豪校から何校も誘いがあった。おとなしくて、目立つのが苦手。野球じゃなくてもいい。スノボかスケボーの選手になると言って、バカかと怒鳴ったことも(笑)」と話していた。引退会見では「冬にスノーボードをやりたい」と話しており、当時から好きだったようだ。

山口は小学生時代からの憧れだった地元の横浜商高(通称Y校)に進学。3年夏にはエースになり県ベスト8に進んだが、恩師の目には山口本来の力を出し切れていないように映った。まるで、野球への情熱が薄れていたように見えたという。

「高校でもやっぱり練習嫌いで、監督にもよく怒られていました。プロには行きたいと思っていただけで、本気で努力はしてなかったですね」(同)

高卒ドラフトにかかるほどの評価はなかった。大学進学の話もあったが断り、野球から離れようとした。

「高3の夏が終わってから、野球にどんどん冷めていって。野球部特有の上下関係が苦手で、また大学で1年生からというのが嫌でした。そのときはプロに行きたいという気持ちも消えていました」(同)

しかし、卒業前に「やっぱり野球がやりたい」という気持ちが芽生え、ちょうどスカウトに誘われたダイヤモンドバックスのテストを受ける。だが本人は半ば旅行気分で、受かるとは思っていなかった。

「メジャーやプロ野球を目指すというわけではなかったです。アメリカに行ったこともなかったし、とりあえず受けたら受かって、アメリカでプレーすることに。大変だったのは、コミュニケーションと移動、あと食事ですね。とくにバスで16時間の移動は、本当にしんどかった。みんなデカいからバスの中が窮屈で」(同)

米ルーキーリーグで3年間プレーしていたころ、帰国するとバイト生活を送った。

「シーズン以外の半年は日本にいて、知り合いのコンビニで働いたり、友達が働いている建築関係の職場で、作業着で骨組みを運んだりしていました。ルーキーリーグは、みんな1、2年でクビになるか上のレベルに上がるか。でも僕は3年目もルーキーリーグのままで……。やっぱり、日本人とは体格が違って、肩や足やボールのスピードが飛び抜けている人が多かった。身体能力が敵わないなと思いました」(同)

帰国後の2005年、横浜と楽天のテストを受けたが不合格となり、最後にダメもとで受けた巨人に合格。巨人初の育成ドラフト選手で入団した。当時2軍監督だった吉村禎章氏は「テストはブルペンだけでなく、選手を打席に立たせて見ましたが、堂々としていた。コーチと話し合って十分に可能性があると。性格はシャイで自分から前に出るタイプじゃなかったですが、日に日に成長しましたね」と話している。

3年以内に支配下にならなければ自由契約という規定があるが、その認識は甘かったと山口は言う。

「一人だけ背番号3ケタだし、同期で入った投手のボールを見ても全然違いました。普通のドラフトで獲られる選手はこうなんだなと。契約金も高くて、羨ましかったです。でも支配下と同じ環境で(二軍の)試合にも出させてもらっていたので、自分もみんなと同じ練習をしていたんです。そしたら小谷コーチに『お前はほかと違うんだから最後まで残って練習しろ』と。その言葉に気づかされて、もっと練習して周りに追いつかなきゃな、と」(同)

引退会見で「特に成長させてくれた方は?」と聞かれて、一番最初に名前を挙げたのが小谷正勝・元コーチだ。
米国では1Aにすら昇格できず、挫折を味わった山口。

「まさかこんな野球人生を送れると思っていなかった」と会見で話したが、彼の人生には、挫折し、野球を嫌いになったとき、必ず叱咤激励してくれる人が側にいた。通算642試合に登板した「球界を代表する鉄腕」の本当の魅力は「人に愛される力」なのだろう。