三戸城正門は北東北最大級/新たな礎石発見

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 三戸町教育委員会は13日、北東北最大の戦国大名・三戸南部氏の居城跡「三戸城跡(城山公園)」の発掘調査現地見学会で、16世紀後半~17世紀初めごろの本丸に通じる正門「大御門(おおごもん)」の柱を支えた礎石1個を新たに発見したと明らかにした。これで計7個の礎石が見つかり、大まかな門の造りが判明。東西の土塁を含めれば門の全体幅は約22メートルで、北東北最大級の大きさを誇るという。町担当者は「(門は)三戸南部氏の権威の大きさ、格式の高さを裏付ける象徴」と分析している。

 町教委によると、新たな礎石1個は11日の発掘調査中に見つかった。大きさは1メートル四方で、これまで見つかった他の礎石6個と形状は変わらない。これで四隅の礎石が見つかったことになる。町教委は門自体の大きさについて、幅約9.5メートル、奥行き約5メートル、扉幅約5メートルとほぼ特定した。

 礎石の大きさやその配置から、2階建ての櫓(やぐら)門だった可能性が高く、高さは6メートル超と考えられる。2階部分は東西それぞれ幅6メートルの土塁に支えられており、それを含めれば、門としての全体幅は約22メートルにまで及ぶとみられる。

 町教委史跡対策室の野田尚志史跡対策班長は「門はいわば、城主の権威と格式の象徴。北東北有数の大きさを誇る大御門は、三戸南部氏の力の証明だったと思う」と話した。

 また大御門の手前で、20~30センチの石が平行して2列に並べられていたのを新たに確認した。門の屋根から落ちてきた雨水を流す、側溝のような役割を果たしていたとみられる。

 大御門は三戸南部氏26代信直(1546~99年)か27代・初代盛岡藩主利直(1576~1632年)のころに造られ、文献に残る三戸城改修が行われた1619年までには、完成していたとみている。

 町教委では来年度以降、本丸の構造について、現在の城山公園駐車場を中心に建物跡を探し、調べていく。

 この日の見学会には約40人の町民らが参加。町教委は今月いっぱい発掘作業を続け、訪れた一般の人向けに解説を行うという。野田班長は「町としては三戸城跡の国史跡指定を目指している。引き続き調査を進めていく」と展望を語った。

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 <三戸城跡>県南から岩手県の大部分、秋田県の一部を支配した戦国大名・三戸南部氏の居城跡。三戸城は24代晴政(1517?~82年)により、馬淵川と熊原川の両河川に浸食された標高131メートルの河岸段丘上に築かれた。築城時期はそれまでの居館だった聖寿寺館(南部町)が焼失した1539年前後とされる。当時、最新の土木技術が用いられ、東北地方最古級の石垣は一部がそのまま現存している。1633年、盛岡城完成とともに居城としての役目を終えた。

大御門跡での見学会で、これまで見つかった礎石を前に解説する野田班長(右)=13日