なにを配達するか

 作家で詩人の高見順に「おれの期待」という一編がある。〈徹夜の仕事を終えて/外へおれが散歩に出ると/ほのぐらい街を/少年がひとり走っていた/ひとりで新聞配達をしているのだ〉。1960年代前半の作という▲詩は続き、自分に問う。〈なにかおれも配達しているつもりで/今日まで生きてきたのだが/…この少年のようにひたむきに/おれはなにを配達しているだろうか〉▲作家の自問の深さに及ぶはずはないが、新聞を作る側にもこの問いは、ずしんとくる。きょうから「新聞週間」。報道の務めを改めて自問する▲私たちはどんな社会を生きているのか明らかにすること。世の中で起きていることへの喜怒哀楽を皆さんと共にすること。思うところはいくつかあるが、もう一つ、ずっと前に先輩から聞いた戒めを、この時期になると思い出す。「大いに迷え」と▲ある事柄を巡り、世には賛成も反対もある。今ならば改憲論議がそうだろう。3年ほど前には安保法制の論議があった。賛否だけでなく、政府の手順、進め方はどうか、という声もある。一つの流れにのまれず、幾度となく立ち止まる。報道することに「迷え」の意味だろう▲新聞に何を詰め込んで“配達”するか、考え、探り続けたい。ひたむきに走りつつ。この方角でよいのかと迷いつつ。(徹)

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