仙谷由人さんと平成30年史 写真特集

2012年12月衆院選で敗戦の弁を語る元官房長官の仙谷由人氏(左)、1999年撮影、元副総理の後藤田正晴氏(右)

 平成最初の年1989年から3年間、駆け出し記者時代を四国徳島で過ごした。10月16日、訃報が伝えられた仙谷由人さんはその徳島出身の40代前半の弁護士だった。組合関連の訴訟で、裁判所に来ていた仙谷さんに話を聞いたことがある。ポイントを押さえながら受け答えして、時々自分の話を理解しているか記者の表情をじっとうかがうようなところがあった。翌90年に衆院選徳島全県区で旧社会党の新人として出馬した。元首相三木武夫さん亡き後の徳島は保守乱立となり、後藤田正晴さんがトップ当選を果たしたものの、仙谷さんは組織票をまとめて2位と大健闘した。それまで同じ自民党ながら三木派と後藤田派の選挙戦は「阿波戦争」と言われるほどにすさまじかった。その名残もある選挙で、仙谷さんが代議士になったことは象徴的であった。ただ、その仙谷さんが三木、後藤田両氏に続いて政権中枢を担うとは当時は想像さえできなかった。72歳で亡くなった仙谷さんの足跡をたどると、平成史の別のページが見えてくるようにも思える。(まとめ 共同通信=柴田友明)

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1997年、衆院予算委で質問する仙谷由人氏(左)と質問を聴く三塚博蔵相、橋本竜太郎首相(右)

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吉野川可動堰(ぜき)建設の賛否を問う住民投票に参加を呼び掛ける鳩山由紀夫民主党代表(手前右)。同左は地元選出の仙谷由人衆議院議員=2000年1月、徳島市

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衆院本会議で、民主党の仙谷由人氏(手前)の質問を聞く小泉首相(奥右)と塩川財務相=2001年11月

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死刑廃止推進議員連盟の会合に集まった(左から)保坂展人、亀井静香、加藤紘一、仙谷由人の各衆院議員=2008年、参院議員会館

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ミニ集会で西松建設の巨額献金事件について説明する民主党の仙谷由人衆院議員=2009年3月、徳島市

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天皇陛下から認証を受ける仙谷由人行政刷新相。中央は鳩山由紀夫首相=2009年9月16日、宮殿・松の間

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仙谷由人行政刷新担当相(左)と菅直人国家戦略担当相を組み合わせたコラージュ=2009年10月

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記者会見で閣僚名簿を発表する仙谷由人官房長官=2010年6月8日、首相官邸

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尖閣沖映像ビデオ流出問題で報告後、首相官邸を引き揚げる仙谷官房長官=2010年10月7日夜

(※肩書はいずれも撮影当時です)

【仙谷由人氏】

10月11日午後10時30分、肺がんのため東京都内の自宅で死去。72歳。徳島県出身。東大在学中の1968年に司法試験に合格。労働問題に精通する弁護士として活躍した後、90年に社会党から立候補して初当選。93年には苦杯をなめたが、96年の衆院選前に旧民主党結党に参加。返り咲いて政調会長などを歴任。2009年の政権交代で鳩山内閣の行政刷新担当相に就任し、「事業仕分け」を担当。一時、国家戦略担当相も兼務した。10年6月発足の菅内閣では官房長官を務め、外交、内政の政策調整を一手に担った。しかし、自衛隊を「暴力装置」と発言し物議を醸したほか、中国漁船衝突事件での政府対応の責任を問われ、10年11月に参院で問責決議が可決。翌11年1月の内閣改造で交代し党代表代行に回った。12年の衆院選で落選し、14年に国政からの引退を表明した。

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