驚異の東大合格率の足場は… 兵庫・灘校 過去に教師や生徒を“ヘッドハンティング”

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東京大学安田講堂=東京都文京区

 灘校(兵庫県神戸市)は中高一貫校だ。180人が中学から入り、高校から新たに40人が加わる。初代校長眞田範衛が「日本一の学校にする」と誓い、開校してから40年後の1968(昭和43)年、東大合格者数が132人と、東京都立日比谷高校を抜き、初の日本一に輝いた。その差はわずか1人。ただ、1学年の定員(約220人)数で単純計算すると1・6人に1人が合格するという驚異的の数字だ。70年には過去最高の151人に上った。

 68年の卒業生で、東大理科一類に合格した東京理科大の学長松本洋一郎(69)=東京都=は、小説「銀の匙」を使った授業で知られる国語教師の故・橋本武(享年101)らから教えを受けたという。校内で「東大に行け」と強く指導されることもなく、松本は「むしろ、本筋から脱線する先生が多く、いろんな分野に興味を持たせてくれる授業だった」と振り返る。

 日本最強の進学校に躍進した背景には、ある“秘策”があった。

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 戦後の学制改革で「6・3・3制」が導入され、多くの公立旧制中学(13~17歳)は、新制中学(13~15歳)と新制高校(16~18歳)に改組された。私立も中学と高校に分けられ「中高一貫校」と呼ばれるようになった。同時に公立では居住地による学区制が敷かれた。

 多くの公立進学校では、救済措置として2年間、臨時の付属中学を設け、13~15歳の生徒を受け入れた。しかし、学区制の壁により、例えば神戸一中(現・神戸高校)では、学区内居住者は新制高校に進学できたが、学区外居住者は進学が不可となった。

 このことに注目した2代目校長の清水実は「教員不足」との反対意見が出る中、神戸高校進学不可となった編入生らを無試験などで受け入れる施策に打って出た。その結果、編入生約80人中、約50人が神戸高校併設中学出身者だった。

 また、6年間の担任教諭持ち上がり制▽優秀な教師をほかの公立校よりも高い給与で採用▽テキスト選択や授業方法は自由▽教師の勉強時間の拡充-などの施策を次々と重ねた。こうしたことが呼び水となり、優秀な教師、生徒の獲得に成功していった。

 1950(昭和25)年に1人しかいなかった東大合格者が、64(同39)年は56人。67(同42)年には初めて100人を突破する112人に上った。以降、2018年までの51年間(69年は入試行わず)で37回も100人を超える合格者を出し続けている。 =敬称略= (村上晃宏)