報道されないイエメン「人道危機」 飢えと寒さで命落とす子どもたち

国連からの支援が半年に一度しか届かない国内避難民キャンプ。サーダで空爆に遭い片足を失ってしまった老人。2年以上キャンプ暮らしが続いていて、病院に行くこともできない

 内戦が始まって既に3年が経過する中東の国イエメン。昨年末、コレラの感染が疑われる患者が100万人に達し、人口の8割以上に食料や清潔な水などが不足していると赤十字国際委員会(ICRC)が報告した。「世界最悪の人道危機」とまで言われているのに、国際社会のイエメンに対する関心は薄い。その一つの理由は圧倒的に情報が少ないことだ。日本に限らず、世界中のジャーナリストにとって取材が非常に難しいのがイエメンだ。 (フォトジャーナリスト=久保田弘信)

  戦争、紛争地の取材は通常、敵対する勢力のどちらかに限定される。近年、国際法は無視され、医療従事者やジャーナリストであっても攻撃対象となり、敵対する勢力に有利な支援や情報が流れるくらいなら、敵兵よりも優先的に攻撃されることさえある。

 イエメンの内戦は2015年以来、首都サヌア周辺を実効支配する反政府勢力とその周りを囲む政府勢力との争いとなっている。国境を接するのは隣国のサウジアラビアとオマーンのみ。サウジは政府軍を支援していて、サウジから反政府勢力側に入るのはほぼ不可能。

 オマーンは中立を保っているが、オマーンから入ったエリアは政府軍の支配地域。つまり、イエメンの反政府側を取材しようとすると、どこから入っても政府軍の支配地域を通らなければならない。

 政府軍の支配地域を通り、うまく反政府側に入れたとしても、取材を終えイエメンを脱出するとき、再び政府軍の支配地域を通らなければならない。敵の支配地域から出てくるジャーナリストがどのような扱いを受けるか。撮影した写真などは没収されるであろうし、最悪の場合は拘束されることも考えられるし、最悪の場合は殺害される可能性まで考えなければならない。

 これほど取材に危険が伴うにもかかわらず、イエメンの報道価値は低い。日本に至ってはその報道価値は限りなくゼロに近い。それ故「世界最悪の人道危機」(グテレス国連事務総長)であるにもかかわらず、イエメンの報道はとても少なくなってしまっている。

 危険度がとても高く、取材結果が日本で発表できる可能性がとても低いイエメン。赤字の取材になるのが分かって行くのはちゅうちょされた。しかし、戦争そのものではなく、病気や凍死で命を失って行く子どもがとても多いと聞き、取材に行くことを決意した。ジャーナリストが現場に赴き、現状を伝えなければ支援も入らない。

 何度も現地の友人と打ち合わせをして、できるだけ安全なルートでイエメンに入る計画を立てた。計画を立てている間にもサウジからミサイルが撃ち込まれたり、サレハ前大統領が殺害されたり、状況は悪い方にしか動いていなかった。

戦火の影響が少ない政府軍支配地域サユーンの街角

 政府軍の支配地域サユーンは内戦の影響もあまりないようで、人々の生活は普通に見えた。しかし、街から幹線道路にかけていくつもの軍のチェックポイントがあり、銃を持った兵士が通る車を検問している。そして、ガソリンスタンドには長蛇の列。もともと石油があまり採れなくて輸入に頼っているイエメン、内戦の影響でガソリンは高騰し、その供給量も少なく、何時間も並ばなければガソリンが手に入らない状態になっている。

 サユーンを後にして、サヌアを目指す。国境からサユーンまでとは違い、政府軍によるチェックポイントの数が格段に多い。あと少しで首都サヌアに到着する距離まで来て、激しい戦闘地域があるために南下し、道なき道を大きく迂回しなければならなかった。午前9時にサユーンを出発し、サヌアに到着したのは翌日の午前3時過ぎだった。

街全体が世界遺産であるサヌア旧市街

 イエメンの首都サヌアは2500年以上の歴史を持ち、世界最古の街とも言われている。その旧市街は世界遺産に登録されている歴史ある街並みだ。その一角にがれきと化した地域があった。サウジからのミサイルによって攻撃された地域だ。近くに軍事施設はなく、地元の人たちは「大きな電波塔があるから、軍事施設と間違えて空爆されたんじゃないか」と言う。

 空爆で破壊された家を撮影していると1人の女の子が出て来た。他の地域の子どもたちは笑顔で僕に寄ってきて、写真を撮ってほしいとせがむ。しかし、この女の子は一切話さず、ただ強い瞳で僕のカメラの前に立った。その瞳はまるで「私たちが受けた悲劇をちゃんと伝えてね」と言っているようだった。

空爆によって破壊されたサヌア旧市街。行き場のない人たちは破壊された家でそのまま暮らしている

 サヌアはサユーンと違って内戦の影響が大きく、電力事情は最悪の状態で頻繁に停電が起きる。停電した時は個人や地域で発電機を回して電気を供給するのだが、発電機に使う燃料さえ乏しい状態が続いている。また、水不足が深刻で、街中に給水車両がやって来て水を配っている。

 「内戦下でもこんなサービスがあってすごいね」と友人に話すと「あれは有料で水を販売しているんだ」と教えてくれた。人が生きていくために一番大切なのが水、お金がない人は水を買うことさえできない。

慢性的な水不足に陥っているサヌア。給水車両が水を配っているが、水は有料

 サヌアから60キロほどの場所に国内避難民キャンプがある。荒地に約350の手作りテントが並んでいる。サウジとの国境に近いサーダなどの激戦地から避難してきた人たちが住んでいる。

 国連の支援が6カ月に1回あるだけで、他の支援は一切ないという。「ロシアと日本の非政府組織(NGO)が調査に来て写真を撮って行ったけど、一度も支援に来てくれない」と言われた。日本のNGOが調査に来たけど一度も支援がないと言うのはショックだった。調査に来たけど、治安のことを考慮すると支援するのは不可能だというのが現状だろう。しかし、治安が悪く国外に「難民」として避難することもできない地域こそ支援が必要だと思う。

国内避難民キャンプ。小さなテントに21人がひしめくあうように住んでいる

 標高が高く最低気温がマイナスになる避難民キャンプ。水、食料、医療、防寒具、生活に必要なものが全て不足している。僕が訪れた時も生後6カ月の子と3歳の子が寒さと栄養失調のために幼い命を落としていた。日々飢えと寒さに苦しみ、過酷な環境で生活している子どもたち、それでも彼らは底抜けの笑顔を見せてくれる。

 最高の笑顔を見せてくれる子どもたちだが、よく見ると彼らの手はひび割れてガサガサで、鼻水も緑色っぽく感染症の疑いがある。ホテルの部屋にいても寒さを感じるサヌア。子ども達は毎日、日が暮れ震える夜が来るのをおびえながら生きている。

国内避難民キャンプ。生活は困窮し、水がないため衣類を洗うこともできない

 アフガニスタン戦争の時、取材で出会った700人近い難民を僕1人で支援していて200万円以上借金をつくってしまった。ジャーナリストとして伝えることに徹し、二度と自分が支援に乗り出すことはしないと誓っていた。

 しかし、17年の時を経て再び同じ状況が僕の目の前に現れた。

 治安が悪く、誰も支援してくれなかったらイエメンにパイプを持つ僕が支援せざるを得ない。冬には気温が0度を下回ることもある地域。手作りのテントで毛布さえない状態では次の冬を越せないと思う。

 これ以上罪のない子どもたちが命を落としていくのを見たくない。

 僕は「日本で募金を集め、できる限りの支援をします」と現地の人に約束してしまった。 世界遺産があちこちに点在していて、観光としても見所が多いイエメン。そして、僕が訪れた中東の国々でも一番と思えるほどの人懐っこさ、「おもてなし」の文化を持つ優しい国イエメン。少しでも早く内戦が終結し、心優しきイエメンの人々が平和に暮らせる日が来ることを切に願う。

 【イエメン内戦】2011年に中東・北アフリカ全域に広がった民主化運動「アラブの春」はアラビア半島南端のイエメンにも波及し、長期政権を築いてきたサレハ大統領の退陣を求めるデモが同年1月以降に本格化しました。その後サウジアラビアなどの仲介を経て、12年2月に実施された暫定大統領選でハディ副大統領が当選、サレハ氏は権限を委譲しました。しかし、その後国際テロ組織アルカイダ系勢力やイランの支援を受けるイスラム教シーア派の反政府民兵組織フーシ派の活動が活発化して国内が混乱。フーシ派は15年1月にサヌアの大統領宮殿を制圧し、サウジなどが支援するハディ大統領は南部アデンに逃れ、以後はイランとサウジの代理戦争の構図で、激しい内戦状態が続いています。

 国連人権理事会の専門家グループはことし8月28日、イエメン内戦の当事者であるサウジ主導の連合軍と、親イランの武装組織「フーシ派」の双方による「戦争犯罪の可能性」を指摘し、非難する報告書を発表しました。報告書は15年3月からことし6月までに民間人が少なくとも約6500人死亡し、そのほとんどがサウジ主導の連合軍の空爆による死者と断定しています。報告書はサウジが主導する連合軍側の無差別な空爆に加え、拷問や少年兵の徴用などが戦争犯罪に当たる可能性を指摘しているほか、フーシ派についても、拷問や少年兵徴用などの可能性に言及し、同組織によるサウジ領内などへのミサイル攻撃も非難しています。(47NEWS編集部)

久保田弘信(くぼた・ひろのぶ) フォトジャーナリスト。岐阜県出身。大学で物理学を学ぶが、スタジオでのアルバイトをきっかけにカメラマンの道へ。旅行雑誌の撮影で海外取材をこなすうちに、一人のパキスタン人と出会いパキスタンへ赴く。9・11以前からアフガニスタンを取材、アメリカによる攻撃後、多くのジャーナリストが首都カブールに向かう中、タリバンの本拠地カンダハルを取材。2003年3月のイラク戦争では攻撃されるバグダッドから戦火の様子を日本のテレビ局にレポートした。10年に戦場カメラマン渡部陽一さんと共に「笑っていいとも」に出演。アフガニスタン写真集 「僕が見たアフガニスタン」Afghan Blue。15年間の取材をまとめたDVD 「THE TRUTH 伝えきれなかった真実2016」。

筆者 イラク北部クルド人自治区で=2016年9月

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