市場貨物駅のにおいも消える?

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晴海運河をまたぐターレの車列

 東京の中央卸売市場が築地から豊洲に移転した。それに伴い早朝、大量の運搬車ターレがヘッドランプをつけて列をなして隅田川や晴海運河をまたぐ環状2号線の広い通りを走る姿がテレビで放映された。2・3キロの距離を引っ越しのため自走する姿は圧巻だった。

 何とこの風景、1970年の終わりから80年にかけてヒットしたテレビドラマ「西部警察」のオープニング(エンディングだったかな?)で大量のパトカーがヘッドライトやサイレンを点灯させて疾走してくる場面とそっくりではないか!と思った人も多いことだろう。多分。思わずあのときの音楽と重ね合わせた。

 ついこの間まで築地市場そばの晴海通りや新大橋通りをわが物顔で走っていたターレ。築地方面に戻ることはもうない。

 豊洲開場後のにぎわいぶりは報道されている通り。すごい。これまで何度となく足を運んで見に行った新交通ゆりかもめの「市場前」駅は、当時利用客はほとんどなく“東京最大の秘境駅”とやゆされていたが、開場直後から人の多さ、駅から市場までの通路の行列は目を見張るばかりだった。まだその実態は見ていないけど開業後苦節12年、やっと名は体をなした市場唯一の最寄り駅としての活躍に期待したい。

 さて、豊洲開場と同時にいきなり解体が始まった築地市場。83年の歴史に幕を閉じ、あれだけ惜しまれたのに、解体は淡々と急ピッチで進むものなんだ。むろん、環状道路を通すためにも一刻も早い解体、整備は不可欠だろうが、なんか慌ただしいなあ、と思ってしまう。跡地は取りあえず東京五輪用の車両基地になるというが、魚河岸のにおいは消え、見事な更地になってしまうのだろう。

(上)豊洲市場開業前のだれもいない市場前駅、(下)レールを利用した築地市場の柵

 ここに市場とともに、国鉄汐留駅とつながる市場駅もあった。上から見ると全体が扇型になっているのは冷凍貨物列車などが入線しやすいようになっているからだという。プラットホームはかさ上げして残され、作業場に使われていた。レールこそないが柵代わりにずっと存在した。至る所にかつてここに鮮魚や青果を運ぶホームやレールがあったことを示す“遺構”はずっと残存していた。

 解体にあたり、「ここに市場駅があった」ことを示す遺構は消えるのか。もちろん、そっくり残したら整備に支障があるだろうし、五輪を前にそんなことを論議する“暇も余裕”もないのかもしれない。だけど、片隅でもいいから何かをそのまま保存して残すことはできないのだろうか。ホームでもレールでもいい。

 築地市場そばには新大橋通りをはさみ汐留駅とつないでいた線路の踏切警報器が今も遺構として健在だ。それと同じ発想で、とはいかないものかな。

 ☆共同通信 植村昌則