【熊本城のいま】小天守 北側を拡張して築造か

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江戸時代前期、小天守を築造するために拡張したとみられる北側部分(赤色の丸で囲っています)=2017年4月、小型無人機で撮影(現在は小天守4階と1階は解体されている)

 熊本地震で被災した熊本城天守閣では、小天守(地下1階、地上4階)の最上階の解体工事が14日に終わった。熊本市は当初4階部分の解体を予定していなかったが、耐震性を高めるため軽量化することにした。地震前よりも3割ほど軽くなるという。来春にも再建工事を始め、2020年春ごろには新たな4階が見られる。

 小天守は大天守とともに、1877(明治10)年の西南戦争の際に焼失し、1960(昭和35)年に鉄筋コンクリートで再建された。現在の天守閣といえば大天守と小天守のセットだが、もともと大天守が先に造られ、小天守はしばらくしてからできたらしい。

 根拠は“密偵”の記録である「肥後熊本城略図」(山口県文書館所蔵)。加藤清正没後の1612(慶長17)年、萩藩(現在の山口県)の密偵がしたためた絵図で、熊本城を外から見て描いたとみられる櫓[やぐら]や堀などが細かく記されている。宇土櫓などの建造物はあるものの、いまの天守の場所には大天守しか描かれていない。

 この絵図はスパイ活動をする密偵が、「熊本城がどういう構造を持つ城か」といった軍事情報を藩に報告する重要な書類であり「ほかの櫓は描いておきながら、小天守を省く理由は考えにくい」と熊本市の熊本城調査研究センターの鶴嶋俊彦さんは話す。

 では小天守はいつ造られたのか。「史料がなく、はっきりとは分からない」と鶴嶋さん。ただ、鶴嶋さんは大天守を築造した後に小天守を造るため、「小天守の北側が一部拡張されている」と指摘する。拡張された用地は、東西に長さ33メートル、幅が4・2メートルほどという。

 清正の書状から、大天守がほぼ出来上がったのは1600(慶長5)年ごろ。これまでの発掘調査や石垣の積み方から、小天守北側の用地が拡張されたのは07年前後とみられる。さらに石垣の積み方の時代性などを勘案すると、小天守石垣は12~14年ごろに造られたと推測でき、「小天守は1613、14年ごろに出来たと考えていいのでは」と鶴嶋さん。この推測が正しければ、天守閣が大天守のみだった時代は10年以上も続いたことになる。(飛松佐和子)

(2018年10月19日付 熊本日日新聞朝刊掲載)