アフリカ人スーパースター6名の「知られざる兄弟選手」たち

『Sportskeeda』は14日、「アフリカ人スーパースターの有名ではない兄弟選手たち」という記事を掲載した。

アフリカでは多くの兄弟姉妹がいる家族が珍しくない。もちろんサッカー選手の実家もそうである。

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スーパースターとして開花した選手の兄弟でありながら、あまり有名になることができなかったものたちとは?

エベレ・オビ(ジョン・オビ・ミケルの兄)

ジョン・オビ・ミケルはおそらくナイジェリアで最も有名な選手であり、U-20ワールドカップで名を馳せ、そしてチェルシーで長い間プレーしていた。

しかし、ジョンの兄であるエベレ・オビについてはほとんど知られていない。彼はゴールキーパーだった。

彼は弟と同じレベルでの成功を収められなかった。ナイジェリア国内のレンジャーズ・インターナショナルでプレーし、その後所属したハートランドではリーグ優勝にも貢献している。

カティリナ&ウィリ・オーバメヤング(ピエール=エメリク・オーバメヤングの兄)

ピエール=エメリク・オーバメヤングはアフリカ最優秀選手賞にも輝いた経験を持ち、成功を収めているストライカーだ。

ボルシア・ドルトムントで成功する前はディジョン、リール、モナコ、サンテティエンヌに所属したが、それ以前にはミランの下部組織にいた。

そして兄のカティリナとウィリも同じくミランにいた選手だ。両者ともにガボン代表の経験を持っているが、それほど有名ではない。

カティリナは様々なクラブに貸し出されたあと退団し、フランスやイタリアの下部リーグでプレーした。

ウィリはアヴェッリーノ、オイペン、モンツァへのローンを経て退団し、スコットランドやドイツでプレーしたが、トップリーグには行き着いていない。

トーマス・ワニャマ(ヴィクター・ワニャマの弟)

ヴィクター・ワニャマは、セルティックからサウサンプトンに移籍した時、プレミアリーグのチームが契約した初めてのケニア人選手となった。

彼はベルギーのゲルミナル・ベールショットでプロキャリアを始めて成功を収めた。後にはトッテナムへのステップアップを果たしている。

そして、彼にはほとんど選手としては知られていない弟トーマスがいる。彼はナイロビ・シティスターズでキャリアを始めたあとソファパカFCに移籍し、さらにモタレ・ユナイテッドへ。代表経験は2capだ。

ジョエル・ドログバ(ディディエ・ドログバの弟)

コートジボワールのスーパースターといえるディディエ・ドログバ。その弟であるジョエルは、ほとんど選手としては成功を収めることができなかった。

ザンクト・パウリ、ベカメックス・ビン・ドゥオン、NKザグレブ、レイトン・オリエントなどでトライアルを受け、ウクライナのメタルルグ・ドネツクに加入したものの、出場はなかった。

ちなみにジョー・ドログバとして音楽活動を行っていたことも。

ダヴィド・エトー(サミュエル・エトーの弟)

ダヴィド・エトーは16歳という若さでマジョルカに加入した。しかし、そこであまりインパクトを残すことができず、まさに「ジャーニーマン」というキャリアを送ることになった。

所属したリーグはスペイン、フランス、スイス、ギリシャ、ウクライナ、スロヴェニア、そして母国のカメルーン。16チームでプレーしたものの、あまり活躍はできなかった。

昨年30歳にして初めてカメルーン代表に選出されたものの、まだ定着するには至っていない。

クリストファー・カヌ(ヌワンコ・カヌの弟)

ヌワンコ・カヌはおそらくアフリカで最も有名な選手の一人であり、多くのタイトルをキャリアの中で獲得してきた。アーセナルでは無敗優勝も経験した。

一方、彼の弟であるクリストファー・カヌは、アヤックスとインテルの下部組織で育成された経験を持るディフェンダーだった。

アヤックスでは15試合に出場し、2000年にはナイジェリア代表にも選出されたが、トップレベルの成功を収めてはいない。2006年に母国へ戻ってイーグル・セメントに加入し、長くプレーしたものの、現在は引退している。

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