なにわに“咲いた”長崎の味 ちゃんぽん、皿うどん 大阪「中央軒」 おいしさ伝え60年

 長崎県が誇る郷土料理「長崎ちゃんぽん」と「長崎皿うどん」。この2大ソウルフードを、関西での元祖として60年にわたり提供している店が大阪市にあるという。食い倒れの町で、長崎県の食文化は正しく伝わっているのか-。なにわの味を確かめるため、自称グルメ記者が訪ねた。
 大阪市中央区難波の繁華街の一角にある中華料理店「中央軒」本店。中央軒は同市内で本店を含む16店を直営している会社。本店前には「長崎ちゃんぽん・皿うどん」と記した赤くて大きな看板が据えられていて、目を引く。
 店に入り、長崎の郷土料理を提供する理由を聞くと、同社の田中信敏代表取締役(67)が答えてくれた。中央軒は田中代表の義父、故田中庄八さん(旧南高千々石町出身)が1958年に創業。きっかけは当時、庄八さんが大阪の飲食店で食べた1杯のちゃんぽん。それは長崎で食べるちゃんぽんとは懸け離れたもので、生前、「溶いた片栗粉を麺にかけただけの料理だった」などと話していたという。「これは違う」。店主に告げるとけんかになったらしい。

■広めたい
 繊維卸業を営んでいた庄八さんは、本物の長崎ちゃんぽんを大阪に広めようと決意。25歳の時、サイドビジネスとして難波に中央軒の1号店を開いた。
 当時の大阪には中華料理店が少なく、ちゃんぽんをいろいろな具が混ざった五目ご飯のような料理と思っていた人が多かったという。舌の肥えた関西人をうならせるには、本場のおいしさを知ってもらう必要があった。そこで長崎市の新地中華街から料理人を雇い、麺や具材も長崎県から取り寄せ長崎ちゃんぽんを再現。店で出したところ、珍しい上にボリュームがあり栄養価も高いと評判になった。
 皿うどんも、細い揚げ麺を使う“長崎流”のスタイルでメニューに加えた。すると、近くのキャバレーなどから「取り分けて食べるのに都合が良い」と、出前の注文がひっきりなしに来るようになった。店は軌道に乗り、庄八さんは1号店を開いた翌年に本業を中華料理一本に絞った。
 中央軒は順調に業績を伸ばし、店舗数も増加。現在は従業員140人、年商約10億円の会社に成長。皿うどんには雲仙市内の自社工場で製造した唐灰汁(とうあく)入りの麺を使うなど、長崎の味にこだわり続けている。
 庄八さんは昨年4月に84歳で亡くなるまで、関西大阪長崎県人会の名誉会長を務めるなど長年にわたり長崎県の発展に貢献した。田中代表は「常識の枠に捕らわれない、バイタリティーのある父だった」と懐かしげに話してくれた。

■生卵かけて
 いきさつを聞き終わる頃には日も暮れ、おなかもすいてきた。「中央軒のちゃんぽんを食べたい」。メニューを見詰めていると思いが通じたのか、田中代表が「味見してみますか」と自ら調理場に立ってくれた。
 「ジャーッ」。強火で熱した中華鍋を振るたびに、キャベツなどの具材が踊る。炒めた具材と麺をスープで煮込む調理法は、ちゃんぽんの本格的な作り方だ。テーブルに運ばれてきた熱々の1杯。具材の上には生卵がかかっている。「これでスープがまろやかになるんですよ」と田中代表。そういえば、島原半島でちゃんぽんを出す店も生卵をかける所が多い。庄八さんと通じるルーツがあるのかもしれないと思いながら、早速食べてみた。
 豚の骨や鶏がらから煮出したスープは乳白色。コクはあるがしつこくない。関西人の好みに合わせたのか、少しあっさり味。スープが染みた麺はもちもち、野菜はしゃっきり、魚介類はプリプリとした歯応え。追加で作ってくれた皿うどんは、パリパリと香ばしい細麺とトロッとしたあんが絡んだ、なじみ深いおいしさ。どちらもまさに本場の味。ほおばりながら「箸が止まりません」と言うと、田中代表は笑顔で「一杯一杯に心を込めて作ることが、おいしさの秘訣(ひけつ)」と教えてくれた。
 中央軒では毎日、全店で計約千食のちゃんぽん、皿うどんの注文があるそうだ。リピーターには長崎県出身者も多いという。そうした人たちにとって中央軒は、いつでもふるさとの味を思い出させてくれる店。これからも長崎の食文化を守り続けてほしい。そう願いながらお礼を述べ、なにわのネオン街に向かった。

箸が止まらなくなった長崎ちゃんぽん(手前)と皿うどん=大阪市中央区難波、「中央軒」本店
調理場でちゃんぽん作りに腕をふるう田中代表=大阪市中央区難波、「中央軒」本店

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