「儲からないウェブ」を加速する“内輪の論理” デジタル広告は進化を放棄していないか

By 中瀨竜太郎

 2018年10月15日に、こんな記事が公開されていました。

 筆者の高広伯彦氏は博報堂、電通を経て、Google広告営業企画チームシニアマネージャーなどを歴任し、現在はデジタル領域を中心としたマーケティング・コンサルタントとして活動されている方です。

 この記事は、高広氏が自身のFacebookに投稿した次の内容に対し、ある方(記事では「F澤氏」と表記)がコメント欄で反論、苦言を呈したことに端を発した議論のやり取りを、記事としてまとめ、あらためて高広氏の考えを示したものです。

記事では、高広氏がデジタル広告業界の問題を本質的に詳解しており、私たちがあえて付け加える要素はないのですが、読み切れない人のためにあえて主題をひと言で言うならば、「デジタル広告業界が内輪の論理で現状を肯定し、進化を放棄している」ということかと思います。

 ユーザーのより良い広告体験が、ブランドのエンゲージメントにも、メディアのエンゲージメントにもつながり、それはブランドにとって高い費用対効果、メディアにとって収益性の改善をもたらすはずですが、こうした中長期の関係性構築をブランドもアドテク事業者もメディアもこぞって放棄して、目先のKPIだけを追いかけているのが現状ではないでしょうか。
 それは、先日の「アドフラウドの表と裏〜諸悪の根源はどこに?」にも書いた通りです。

 私たちには「業界全体として、この問題に真摯に取り組んでいない」と感じられることがしばしばあります。

 NHKニュースの記事中では「いたちごっこ」の表現で、詐欺集団への対策が簡単ではないことがヤフーの宮澤さんによって明かされています。でも、本当に悪いのは果たして、そういう抜け穴を狙って詐欺を働く集団なのでしょうか。

 私たちから見ると、この複雑なウェブ広告システムの構築、維持、拡大に肯定的に介在してきた人たちにも大きな責任があるように思えます。

アドフラウドなどわかりやすい「不法行為」が本質的な問題なのではなく、ごく当たり前に通常のフローで配信されている広告にこそ、ブランド、ユーザー、メディアが本来享受できるはずの本質的価値を毀損させる根源的な問題が内包されている、私たちはそう考えています。

 たとえば、私たちも創業から約3年、いろいろなアドネットワーク、アドエクスチェンジを試して使ってきましたが、弊社に出資いただいているヤフー株式会社のアドネットワーク「ヤフー・ディスプレイ・アドネットワーク」の広告一つとっても、「この広告は、事前の審査で掲載不可にしてほしい」と感じる広告が流れてきて、慌ててブロック処理をすることが頻繁にあるのです。
 これはヤフーに限らず、アウトブレインをはじめとする「レコメンドエンジン」内の広告でも同様で、「広告審査を本当にきちんとやっているのだろうか?」と感じざるを得ないところです。

 問題が特に多いのが美容・健康系の商材で、芸能人の名前が広告クリエイティブ内に出ているものが多くあります。こうした広告は大半のケースで、ランディングページ内にテレビ番組の画面キャプチャなどが無断転載されているものが多く(出典さえ書けば無断転載が引用として許容されると勘違いしている人がとても多いです)、肖像権やパブリシティ権を含む権利処理をきちんと行っているとは考えられないものです。
 いくらその商品が素晴らしいものであっても、メディアという「コンテンツを取り扱う場所」に「コンテンツの権利を侵害をしている広告」が流れる、というのは受け入れてはいけないものだと考えています。

 こうした問題は決して、広告主やアドテク事業者だけの責任ではありません。一般に「大手メディア」と言われる媒体社のウェブサイトでも、こうした著作権無視の広告クリエイティブを目にすることが多いからです。本来はコンテンツの権利侵害にうるさいはずの媒体側が、目先の収益を最優先し「権利侵害でも何でも売上になればいい」と考えてしまっている部分もあるのではないか、と感じます。

 メディアにとっての「儲からないウェブ」というのは、「ウェブが壊した「参入障壁」」や「「二つの収益低下」に直面するメディア」で書いたように原理的なものですが、それをメディア自身が悪化させていることは、高広氏の記事でもにおわされているように思います。

日本の広告単価はなぜ上がらないか、、、という質問はよく受けるんですがそのいくつかある理由の一つは、ここに挙げ、書いたような、業界関係者に自覚がない問題が偏在していること。ここは本当に根深いよね。

 ただ一方で、「儲からないウェブ」の世界で、メディアの担当者がウェブサイト運営にべったり貼り付いて、ソリューションの最適化を計り、こうした課題に個々に取り組んでいくというのは、費用対効果として見合うものではない、とも私たちは考えています。
 メディア同士が競争し合い、反目し合って個別バラバラに競争し合うところに複雑さが生まれ、その複雑さの隙間で躍動する"テクノロジー"を生んでしまうのです。だからこそ、私たちは「nor.」を提案しています。

 「漁夫の利」ということわざがあります。漁夫が利を得たのは、競い合う鷸(シギ)とハマグリがいたからでした。

イワシさん、あなたが敵視すべきはマグロではなく漁師だよ。だって、マグロはイワシを食い尽くさないけど、人間はイワシを食い尽くすでしょう?

私たちのメッセージは、こんな風にも表現できるのかもしれません。

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