SPARTA LOCALS - スパルタローカルズ15年ぶりに新宿ロフトでワンマンライヴを決行。今、安部コウセイは何を想う

曲作りの際にブレそうになる時に指針になる言葉が共通認識として明確にあればブレないのかも

(この日のインタビューの趣旨や流れを伝え終わり、本題に入ろうとすると)

安部コウセイ(以下、安部):それって事前に考えをまとめて、メモか何かをしているんですか?

——ガイド的なメモですが、一応。「今日はこういう流れで、このようなことを訊こう」といった忘備的な意味も含め、一応、毎度取材の際は事前準備として用意してます。

安部へーっ。いや最近、そういったものがもしかしたら大事なのかな? なんて考えたりもして。

——それは?

安部もしかしたら他のバンドはそういったことをしているのかもしれないけど、最近キチンとコンセプト等を可視化させて、それを目指して作品をつくった方が良いのかな? なんて考えることがあるんです。

——後悔したくなければやった方がいいかもしれません。ただし逆に偶然性等は損なわれちゃう懸念はありますが…。どうしてもある程度、設計図に則って作っていく流れになりますから。

安部正直、曲を作っている際にブレそうになる時があるんです。そんな中、もしこういった指針になるような言葉が、明確にメンバーにも自分にも共通認識としてあればブレないのかも…と。中には、「そのブレたところが面白い」と言ってくれる方もいますが、それはやはり僕たちのコアな支持者であって。

——スパルタにはやや似合わない行為ですが(笑)、メンバー共有で可視化させるためにも有効だとは思います。

安部僕自身メンバー間での共通認識を持つのが苦手なので、それを丁寧に出来たらいいのかな…? とは、この歳になってようやく感じていて。そうすれば頭の中もスッキリするし、作業中も悩まなくてよくなるし。

——では、スパルタやHINTOって、<何か伝えたいことや表現したいことがあって出す>というよりかは、<とりあえずここ最近出してないから出さなきゃ>的な使命感等の方が強いとか?

安部そうです。そうです。もうずっとそれで来てますから(笑)。今、ちょうどスパルタの方もレコーディングの準備中なんですが、HINTOとスパルタの両方を並行してやってるんで、何も考えずに出した際に、どちらにも良くない影響が出る可能性もあるなと。「似てんじゃん!」「なにこれ? HINTOで良くない?」みたいな。それは避けたくて。それもありHINTOをやっている時よりも、遡るとスパルタだけをやっている時よりも、この明確化や差別化の意識はハッキリ持っておきたいんです。

——今後も並行していくのであれば、その辺りの認識は持っておいた方が良いでしょう。ほぼ同じ人たちがやっていることもあり、段々と近くなっていきそうだし。となると、どちらのお客さんも離れてしまう危険性も…。

安部そもそもスパルタの再結成の理由は、HINTOでは出来ない/やらない音楽性をやる目的から始まってるんで。HINTOではあのスパルタのような暴力性は出せないですから。でも、いざ動き出しちゃうと自分はだらしのない人間なので、非常にその辺りを考えるのがダルくなっちゃって。ちょっと気を抜くとつい、「まっ、何でもいいか…」となりかねない (笑)。今回それは避けたくて。

スパルタの方が、「怒り」「哀しみ」「軋轢」といった明確化したものを表現してるぶん分かりやすい

——現状、HINTOのファンでスパルタのファンのお客さんは多そうですが、スパルタのファンでHINTOのファンの方はやや少なく映ります。

安部まさしくそうです。でも、その2つを明確に分けていけばいくほど両極化していく気がして。でも自分的にはそれでもいいなかって。スパルタのお客さんがHINTOに来ないのも、俺からするとその違いがはっきりしていたからだろうし。それを今後もっとはっきりさせていけたら楽しいかなと。特に今はスパルタの新曲を作っている最中ということもあり、葛藤してますね。

——HINTOの方がスパルタより音楽的には分かりやすいですもんね?

安部いや、むしろ逆に、僕の意識的にはスパルタの方が分かりやすいんじゃないかなって。スパルタの方が、「怒り」「哀しみ」「軋轢」といった明確化したものを表現してますから。それは内容や曲調じゃなく、感情の内容についてですが。対してHINTOはもっとグレーな気持ちや曖昧な感情を表していて。例えば、「もの寂しい」とか。ちょっとした違和感はあるけど、生活は続いていくみたいな感覚。前者は受け取り手からすると、このバンドは怒ってる歌をうたうバンドなんだと一発で分かる。それが自分の思う分かりやすさで。自分の中では曲調の分かりやすいも分かりにくいも、あまり関係ないかなって。いわゆる聴き手の許容範囲に委ねているが故に、逆に安心感はないかなと。

——「このバンド怒ってる歌をうたってる」「では自分はこうコミットしよう」と対応も明確に出来ますもんね。

安部ただ、お客さんからすると曲調は分かりやすいけど、感情としてどう反応していいか? は難しいかも。HINTOに関してはライヴを観た人の反応が、どうにでもできちゃう部分があるから。自分はそれがけっこう難易度が高いことをやっている自負があって。

——でも、スパルタはスパルタでやはり現状、昔ほどのとんがり具合は薄れている感はあります。

安部自分ではそれでいいかなとも思っていて。じゃないと逆にリアリティもないですから。正直、今は昔の感情とはかけ離れ過ぎていて。でも今は今で今の怒りがあるんですよね、不思議と。変に若い時の怒りをトレースするのではなく、その今の怒りを誠実に形に出来ればなと。

——齢を重ねてもその新しい怒りみたいなものは湧いてくるものなんですね。

安部自分でもこの歳だし無いかも…と思ってましたが、掘っていくとやはり今の年齢ならでは怒りがキチンとあって。これが不思議な話で、スパルタの曲を作っている時は怒りっぽくなるんです。怒りのアンテナの感度がより発達してるみたいに。「これちょっとおかしいだろう(怒)!!」という気持ちにはなりやすくなってます。

——でも、それを楽曲的には二回転半ぐらいひねって伝えているところが魅力の一つです。

安部喧嘩が弱いパンクスみたいなもんですから(笑)。ネクラなパンクス(笑)。でも、そのトガっている/いないの概念もおかしなもので。「HINTOがトガっていないか?」と問われたらそんなこともないし。表面的な部分でのトガりを指すのであれば、確かにスパルタはトガっていたのかもしれない。でも自分の中では、ステージ上でめちゃくちゃ暴れて、中指立てて唾を吐きかけて、が今のトガっているとはけしてイコールではなくて。それが今の自分にとってのリアルなのか? が問われると疑問で。40歳なりのトガりが無いとスパルタはツラいですから。

——ところで再結成以後、活動後期の曲はやってませんよね?

安部当然お客さんは歴代全部の曲の中から聴きたいでしょう。だけど、僕的にはドラマーが違えば楽曲全部が変わってしまうと考えていて。特にスパルタは曲の面白さは、メンバーのパーソナルな部分もあってのことだったし。このメンバー時代の曲をこのメンバー以外でやっても、あまり面白くないでしょうから。それはうちらの田舎臭さや、同じ出身地という後ろ盾がムードとして曲を彩ってたのもあるだろうし。

新宿ロフトは福岡時代から敷居が高くて誰でも立てる場所じゃないイメージがあった

——11月18日の新宿ロフトでの、『名なしのワンマン』は、7月のシェルター2Daysで新曲も発表しはじめたこともあり、ここから新しいスパルタが始まっていく気概も込めた日になりそうですね。

安部それもあります。でも、それとは別に、シェルターも新宿ロフトもスパルタからしたらめちゃめちゃ意味のある場所で。これは特にアナウンスはしてませんが、スパルタは今年結成20周年なんです。間に活動休止や解散、メンバーチェンジ等があったんで実質20年間の活動はしていませんが、気持ちの中ではそのアニバーサリーライヴの意味合いも含んでいて。その中でシェルターで新曲を演り、たぶんロフトでも演るでしょうが、その新曲を通して現状のスパルタの新しい形が表現出来たら、それはそれで面白いかなって。

——ノスタルジーのみならず現行の自分たちを魅せるゾと。

安部でも自分は再結成した時点で、ノスタルジーからは逃れられないと覚悟していて。よくそれを悪い文脈で語る方もいるけど、そのノスタルジーに浸ること自体は、特に悪いこととも思ってないんです。音楽が持っている機能の一つじゃないですか。僕はそこも含めて音楽の素晴らしさだと考えていて。なので、全然ノスタルジーに浸ってもらってかまわない。むしろノスタルジーに浸れるぐらいの力がうちらの楽曲にあるのであれば、それは最高なことですから。

——先ほど、「シェルターと新宿ロフトはめちゃめちゃ意味のある場所」とおっしゃってましたが?

安部僕らが九州から東京のロフトやシェルターに演りに来ることには、何か特別な意味があったんです。敷居も高かったし一つのステイタスでもあった。演れることに誇りを感じていて。なにせ憧れの場所でしたからね。eastern youthやfOUL、北海道のバンドたちやキウイロール等が演っていた場所としても憧れがあったし。その辺りと自分的な20周年の感情とがつながってのことですね。

——実際、当時、何か想い出すものってありますか?

安部イヤな想い出しかないですよ(笑)。ロフトのドブみたいな匂いとか(笑)。あと、やはり色々な意味で怖い場所の印象が強いですね。福岡から初めて来た時の歌舞伎町の雰囲気…。当時、自家用車で福岡から来たんですよ(笑)。そんな中テレビでしか見たことのない歌舞伎町…。人殺しや事件も頻繁に起こってるイメージがあって。ヒビりながら、着くなり、「早く帰りてぇわ」となってました。でも、実際に立てた時は嬉しかったですね。福岡時代から敷居が高くて、誰でも立てる場所じゃないイメージがあったし。ダサかったら出来ない、そんな印象を持ってたんで。誰でも出られないステージが故に、なんか認められた気がして。実際に最初にステージに立てた時の、あの緊張感は忘れられないですね。

新曲は今までのスパルタであるようでいてスパルタじゃないものばかり

——11月18日、当日はどんなライヴにしたいですか?

安部こういった質問にこれまでまともに答えられたことがなくて(笑)。人がライヴでどんな気持ちになろうが、受け止めようが、そういったことには一切興味がないんです。僕にとってライヴって自分ごとでそこに参加はしてるけど、どこか自分ごとじゃないというか。

——ほう。

安部自分が全部コントロールしている感覚があまりないんです。と言うのも、僕はライヴを理性的にやっていて。体調が悪い時には、「早く終わんねぇかな…」と思いながら演ってたり、調子がいい時は、「楽しいな」って思ったり。どこか俯瞰的な自分が居て。でも、その俯瞰の部分が一瞬なくなる時があるんです。ほんの5秒とか10秒だろうけど、それがスパルタでは起きやすくて。そこはスパルタでの自分の魅力の一つかもしれません。その瞬間をお客さんが見た時に、「コウセイっぽい」と称するんでしょう。

——それは自身的には恍惚的な瞬間だったり?

安部いや、自傷的な感じです。感覚的には自殺に近いかも。他殺じゃない感じ。でも、その後は凄く気持ちがリフレッシュするんです。生まれ変わるようなそんな爽やかさがあって。

——それを求めてライヴを演ってたり?

安部いや、求めてないっす。スパルタに関してこれは勝手に起こる現象みたいなもんなんで。求めてはいないけど、仮にそれが無かったらスパルタはやってないかも。そこまで行けるのがある種の自分たちで言う暴力な気がしていて。それは、殴るとか物質的じゃない暴力とでもいうか。音楽が盛り上がって盛り上がって結晶化して、自分の精神に影響されて獣のような暴力性を手に入れるようなものなので。

——まるでデビルマンの第一話みたいですね。

安部まさしくデビルマンっす。それになった時には、いいか悪いかは別にして自分の中では印象に残ってるライヴが多い。以前も友達が観に来た際に、シェルターの天井をなめている瞬間があって。その時の自分の目が、「どこかこちら側の人間じゃない目をしていたけど、あれはどういった感覚だったの?」とライヴ後に訊かれたことがあって。で、その時を振り返った際に、あれはきっと音楽というものが自分の気持ちをそちら側にそちら側に、いわゆるデビルマン側に押し上げていったんだろうなと行き当たったんです。

——なるほど。是非、11月18日の新宿ロフトでもそれを観たいです。では最後に今後のスパルタについて教えて下さい。

安部日々、曲作りはしていて。新曲も何曲かは出来てます。それらはやはり今までのスパルタであるようでいて、スパルタじゃないタイプのものばかりで。作品になった時に、ちゃんと体力も冷静さも兼ね備えたものなるかなと。スパルタはこれまで盤になると途端に弱くなっちゃう印象があって。ライヴはいいけどそれを作品化しちゃうと…みたいな。その熱量やエモさがスポイルされがちだったんです。これまではそれを、「気合が足りないからだ」と他のメンバーのせいにしてましたけど(笑)、それって思いっきり間違えていたことに気づいて(笑)。あれから年月も経ち、それを防ぐ為の方法論も分かってきましたからね。

——それは?

安部僕の作曲の段階でのやり方や、作品化までの過程が原因だったことに今になって分かったんです。その辺りも反映された作品になるかなと。ようやく頭でイメージしたものと、そうズレないものが作れそうなので、その辺りも含め楽しみにしていて欲しいです。

(Rooftop2018年11月号)

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