<レスリング>【2018年世界選手権・特集】屈辱のスマホ待ち受け画面を見続けて世界一に返り咲き…女子55kg級・向田真優(至学館大)

 【ブダペスト(ハンガリー)、文=布施鋼治、撮影=保高幸子】女子55kg級の決勝戦。12-2のテクニカルフォール勝ちを決めた瞬間、向田真優(至学館大)は右拳を振り上げながらガッツポーズ。それから飛び跳ねて喜んだ。心の底から笑っている。それは久しぶりに見たペコちゃんの笑顔だった。

“ペコちゃんスマイル”で優勝の喜びを表す向田真優

 昨年の世界選手権の決勝で、まさかの逆転負けを喫して以来、向田はスマホの待ち受け画面を、銀メダルとさえない表情で表彰台に上がっている自分の写真に設定した。あの時の悔しさを絶対に忘れないために。

 その後の向田は連戦連勝。出場する大会は全て優勝している。しかしながら、いずれの表彰台でも向田に笑顔はなかった。今年9月、至学館大で練習を見る機会があったが、その時も向田から白い歯がこぼれることはなかった。何か思い詰めている雰囲気すら漂っていた。世界選手権で優勝するまでは心から笑うことを封印しているのか。そう捉えるしかなかった。

 今大会の決勝前、向田は待ち受け画面を見返して、自分の気持ちに火を点けた。「この銀メダルを絶対に金メダルに変えてやる」-。

 有言実行。試合開始早々、向田は勢いのある正面タックルを決めたが、これを待っていたとばかりにシダコワ・ザリナ(ベラルーシ)は絶妙なタイミングでタックル返しを決めた。主審は返したシダコワだけに2点を与えた。自分にも点数が入るものだと捉えていた向田は一瞬焦ったが、すぐ思い直した。「しっかりとセコンドからの声が聞こえたので、落ち着いて試合をすることができました」

研究されていたが、自分の得意技にこだわった

 シダコワは今年6月の中国オープンの1回戦で向田と対戦している(向田のテクニカルフォール勝ち)。その時の感触から正面タックルが来たら、即座にタックル返しを狙おうと思っていたのだろうか。対策を練られていたという仮説に、向田は同意した。「去年の決勝の相手もベラルーシの選手だったので、たぶん私がこういう技を使ってくるという情報は今回の相手にも伝わっていたと思う」

2回戦でアジア大会57kg級チャンピオンのヨン・ミョンスク(北朝鮮)を破る

 向田は相手の脇をくぐるようにして入るタックルを得意とするが、案の定、そのくぐりを研究されていたと感じていた。「それは相手のヒジを持った時に感じました」

 この時、再びタックルに行くことに対して躊躇する気持ちがなかった、と言えば嘘になる。向田は「ちょっと見てしまった」と打ち明けた。「相手のプレッシャーもすごかったので、ちょっとだけ銀メダルのことを思い出してしまいました」

 それでも、この日の向田はくぐってからのタックルに入ることを諦めなかった。なぜか。それは前日、JOCエリートアカデミーで後輩にあたる乙黒拓斗(山梨学院大)が失敗を恐れずに果敢に攻め抜き、優勝をもぎとる姿を目の当たりにしたからだ。「拓斗もタックルを何回か返されていたけど、それでも最後まで攻め切って勝ちに行っていた。だったら自分も『返されてもいいからタックルを取りに行こう』と思いました」

 向田の決意は吉と出る。場外ポイントで1点差まで詰め寄ると、くぐってからのタックルやローリングなどで6-2と逆転に成功した。第2ピリオドになっても、向田の勢いは止まらない。ローリングを中心に点数を重ね、あっという間に勝負を決めた。

志土地翔大コーチの献身的なサポートに応えた優勝

2年ぶりのウイニングランは、前回と同じブダペスト

 「久々に笑顔を見た」と振ると、向田は涙声で、「(セコンドを務めた)志土地翔大コーチ(至学館大職)の献身的なサポートがあったからこそ優勝できた」と打ち明けた。「志土地コーチがいつも一生懸命に教えてくださった。その気持ちに絶対応えたいという思いが今回の金メダルにつながったんだと思います」

 2年ぶりに世界一の座に返り咲いたとはいえ、向田はスマホの待ち受けをすぐ変更しようとは思っていない。変更するのは来年世界チャンピオンになって、東京オリンピックへの出場切符を手にしてからと決めている。「去年の世界選手権の悔しさを晴らすことはできました。でも、(何かあった時に)また思い出さないと、また失敗してしまう。あの悔しさだけは絶対忘れないように心に刻んでおきたい」

 次戦は東京への第一ステップとなる12月の全日本選手権。向田は階級をオリンピック階級である53㎏級に戻して挑むつもりだ。「今までずっとオリンピックを目指して頑張ってきたので、東京には出たいし、金メダルも獲りたい」
 
 2年後、我々は最高のペコちゃんスマイルを見ることができるのか。

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