中核派メンバーが正体を隠して杉並区議に立候補?国を愛し、世を憂いた烈士・野村秋介氏の命日に思うこと

写真:ロイター/アフロ

10月20日の地久節。

皇后陛下におかれましては84歳のお誕生日をお迎えになられました。心からのお祝いと、言葉に尽くせぬ感謝・敬愛の念を胸に皇后陛下御自らのお言葉を拝読させていただきました。

http://www.kunaicho.go.jp/page/kaiken/show/21

皇后陛下のお言葉は大変美しく、静かな印象を受けるものでしたが、その実とても重みのある大変お強いものでもありました。お言葉は記者団への文書による回答という形式がとられており、皇后陛下としての30年、皇室に上がられての60年を振り返りながらも、今上陛下へのご信頼とご尊敬、お身体を案じるお気持ちが随所に拝されるものでした。

「たましひ」が籠められたかのような言葉で紡がれた文章は、丁寧でお優しい皇后陛下のお人柄を感じさせるものでした。私たちが日頃から大切にすべき「言霊」についてお示しくださったようにすら感じてしまいました。また、新しい御代への強いメッセージ、我が国の将来に向けたお気持ち、特に拉致被害問題について言及なされたことには驚きと感銘を受けました。

天皇、皇后両陛下のご健康とご長寿を願うとともに、皇室の弥栄を心からお祈り申し上げます。また、間も無く始まる新しい御代を私たち一人一人が心から祝い、大いなる希望を以て迎えることを願っています。

こんにちは!チバレイです。

私たちは言葉の持つ力、特に日本語の放つパワーをもっと大切にしなければなりません。「言霊」という力を宿した言葉は世を明るくも暗くもしますし、人を幸せにもすれば殺すこともできると聞きます。特に「ありがとう」には素晴らしい波動と霊力があるといわれています。私たちは進んで感謝の言葉、ポジティブな言葉を使うよう心掛けましょう。

今からちょうど2年前の10月20日。主人に連れられ神奈川県伊勢原市にある浄発願寺を訪れました。

『俺に是非を説くな 激しき雪が好き』

烈々とした情念と美学に貫かれたカリスマ。巨大な権力との闘争に次ぐ闘争を自らの掟によって終わらせたカリスマが眠るこの地。ここにようやく来れた感慨と不思議な緊張の中、花を添え手を合わせたことは未だに鮮明に記憶しています。

かつて、我が国の為政者たちの「重みなき言葉」を厳正批判し、世の不条理や権力悪と闘い続けた「伝説の国士」「新右翼のカリスマ」野村秋介烈士が自決したのも25年前の10月20日のことでした。

『万死に値すると言ったら、死ぬべきだ。オレは命を懸けると言ったら命を懸けるべきだ。戦後、そういう責任の取り方というものをしなくなったから、世の中おかしくなった。じゃあ、野村秋介が見せてやる。朝日と刺し違えてやる』

野村秋介烈士は昭和38年、河野一郎氏(当時農林大臣)のソ連との北洋漁業権に絡む不可解かつ不透明な動き、那須御用邸の近隣国有地払い下げと土地転がし等に「祖国と民族の敵である!」と河野邸を焼き討ち、12年もの刑に服しました。

出所間も無い昭和52年には金権主義、営利至上主義が招いた結果として、環境破壊・人心荒廃を挙げ、その元凶として経団連・土光敏夫会長(当時)への面会と反省声明を求め籠城。結果6年の実刑判決を受けています。この義挙の際「ヤルタ・ポツダム体制こそが日本を弱体化させた戦後の呪縛の源泉」と断じています。

また、フィリピンの反政府ゲリラに囚われた日本人カメラマンを救出したことはあまりにも有名です。そのスケールの大きさ、誘拐され日本政府からも見捨てられた同胞を救うという命懸けの行動は、今日に至るも未だに称賛され、語り継がれているのです。

野村秋介烈士の行動は不条理と戦う右翼、反体制・反権力の右翼として世の注目を集め、今までの右翼と違う新しい概念とスケールを持った右翼「新右翼」と呼ばれるようになりました。そしてその道統は今現在も脈々と続いており、既存の右翼とは一線を画した……反米闘争や政権寄りの利権悪の糾弾、慰霊顕彰……といったことに積極的に取り組んでいるのです。

その「新右翼」の中心的人物だった野村秋介烈士のカリスマ性は、没後25年を経た現在も尚、左右問わず多くの人に影響を与え続けています。右翼民族派の活動家である以前に、「人間・野村秋介」の魅力はとても大きく、弱い立場の者には優しく手を差しのべ、権力を振りかざす者には徹底して立ち向かう。それでいて人の肩書きやレッテルには一切見向きもしない。そんな人柄故に、右翼・左翼・任侠・政界・財界と多岐に渡る交流がなされたことが遺された著作からも伺えます。

野村秋介烈士は平成4年に「風の会」を立ち上げ、正式に参院選への出馬を表明しました。中でも漫才師・横山やすし氏を擁立したことは話題となり、ビートたけし・安倍譲二・猪野健治・菅原文太・デーブ・スペクター・栗本慎一郎・ポール牧……といった当時の著名人、左右を問わず多くの友人・支援者が挙って名乗り出るという、正に「民族派が国政に打って出る」機運を作り出したのです。

風の会の最終的な得票は約22万票。結果は議席の獲得には至らず、その闘いは惨敗となりました。しかし元より議員バッチには全く興味が無かったようで、次なる敵との闘い、最後の闘いへと突き進んでいったのです。第4の権力といわれたマスコミ、その代表的な「朝日新聞」という「敵」に向かって。

選挙の最中、週刊朝日の「山藤章二のブラックアングル」というコーナーで「風の会」を「虱(しらみ)の党」と揶揄する事件が起こりました。明らかに選挙妨害であり、名誉毀損に該当するこの件で、野村秋介烈士は怒りを爆発させ、抗議を行いますが朝日新聞側は逃げるばかり。公開討論を呼び掛けるも及び腰。およそ1年近くを経て、最終的に恐れおののいた朝日新聞の社長が謝罪するという「手打ち」で幕引きとするその日……。

当日、朝日新聞本社の社長室にて一通りの話し合いを終えた時。それまで何の素振りも見せなかった野村秋介烈士は、2丁のピストルを出し、
『今日はそんな甘いことで来たのではありません』『朝日が倒れるか、野村が倒れるか。命を懸けているといいましたよね。それを実行するために来ました。さりとて皆さんに危害を加えるつもりはありません』

と、淡々と話し皇居の方角に向かい「皇尊(すめらみこと) 弥栄(いやさか)!」と三唱し、2丁のピストルで2発を同時に胸に打ち、更に1発で自らの介錯をおこない壮絶な自決を遂げたのです。

『惜別の銅鑼は濃霧のおくで鳴る』

生前から「口舌の徒」を嫌い、政財界の巨大な権力と闘い続けた【野村秋介】という浪曼溢れる生き方。徹頭徹尾貫いた美学と自身に課した「命を懸ける」という掟。死を賭して貫いたその美学と浪漫は「命よりも更に崇高な価値」の存在を明らかにしました。そして、命懸けで国を愛し人を愛し、命懸けで闘い「死ぬ」覚悟を持った時、人は言葉ではいい表せない境地に辿り着くことも示したのだといえます。

「生きながら肉体を有したままに輝きを放つ透明感」とでもいいましょうか、そんな神々しさを人はまとうことが可能となるのです。そして、それは【野村秋介】という一つの壮大な浪曼だからこそなし得たのだと信じています。

今日、保守業界からも「右翼は反日のために活動している」といったような言葉が出てくる中、こんな「新右翼のカリスマ」と呼ばれた国士がいた事を一人でも多くの方に知っていただきたいと願ってやみません。

ちなみに10月20日は神風特別攻撃隊である敷島隊・大和隊・朝日隊・山桜隊が結成された日でもありました。

参考リンク

http://www.gentosha.jp/articles/-/6407

■”暴力による革命”を肯定する”極左暴力集団”がクリーン戦略で杉並区議に立候補

さて、野村秋介烈士は自らを飾ることも、偽ることもなく国を愛し、世を憂いた活動家であったわけですが、極左暴力集団・過激派「中核派」の活動家たちが意図的に素性を隠し、東京・杉並区議への出馬に向けて準備を始めたようですね。

今さら中核派の何たるかを語る必要すら感じませんが先ずは簡単に。

【マルクス主義学生同盟 中核派】革命的共産主義者同盟(革共同)は結成以来分裂を繰り返し、昭和38年に革マル派と中核派を誕生させるに至りました。成田闘争等を経て、数々の放火や非合法活動を繰り返し、革マル派等との内ゲバでは50人近くを殺害しており、負傷させたのは数千人にも及ぶといわれるほど。現在もメンバー数名に対し、殺人や放火といった容疑で指名手配がなされている目的達成のためなら殺人も厭わないという恐ろしい組織なのです。

最近では労働組合「東京管理職ユニオン」を隠れ蓑に、企業へ人材を送り込み労働問題をでっち上げ、解決金名目で恐喝紛いの事案を繰り返し活動費を作っているようです。

極左暴力集団・過激派のメンバーであっても、日本国籍を持っていれば我が国では被選挙権が認められます。選挙に出馬し、日頃の非合法活動とその野蛮極まりない革命理念を広く訴えることは自由でしょう。現職の議員の中にも過激派のシンパといわれる人が実に多くいます。

問題なのは自身の正体を隠し、上手にイメージを作り上げ、世間を欺き出馬するという性根が許せないのです!

洞口朋子・齋藤郁真両氏に申し上げます!

あれだけ暴力を肯定し、殺人さえも厭わないあなた方が、暴力による革命を至上としてきたあなた方が、こそこそと正体を隠し立候補するのですか?恥ずかしくはないのですか?

なぜ極左暴力集団・中核派を堂々と世間に名乗らないのでしょうか? 中核派の活動が世間から嫌悪されているのをご存知だからですか? 活動家としてのプライドはないのですか?

そもそも「選挙で勝つ革命」を否定していたにも関わらずなぜ立候補なのですか? あなた方の革命に対する覚悟とは、かくの如く安っぽく低俗で、誇りも浪曼の欠片もないものなのですか?

民衆に紛れ込み、顔をヘルメットとマスク、サングラスで隠し、闇に隠れて非合法活動を行うなんてのは卑怯千万だと考えませんか? その延長で清潔なイメージを作り杉並区民を騙すのですか?

かつて私たちの先輩方は国を思うが故に、維新を目指し決起しました。そこには血も涙も通った「悲しみ」さえありました。反ってあなた方の目指す革命に暖かい血と涙はありますか?大きな悲しみはありますか?大切な家族、美しい郷土はありますか?尊い祖国はどこにあるのですか?あなた方の身勝手で「未熟な正義」によって私たちの祖国日本を蹂躙することは許しません!

杉並区の住民がこんな卑怯で狡猾な極左暴力集団に騙され、議会が冒涜されることは何があっても阻止しなければならないと考えます。

今回のコラムで皇后陛下、野村秋介烈士について書くつもりが、よりによって中核派の話題で締めることになり、大変に申し訳なく思っています。

改めて野村秋介烈士のご冥福をお祈り申し上げます。

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