引き分け→広島勝ちは32年前と同じ 1986年は工藤公康のサヨナラ打から西武日本一

ソフトバンク・工藤監督【写真:藤浦一都】

第5戦でサヨナラ安打、史上唯一の第8戦で胴上げ投手

 27日、マツダスタジアムで幕を開けた2018年の日本シリーズ。34年ぶり日本一を狙うセ・リーグ王者・広島と、パ・リーグ2位からクライマックスシリーズを勝ち上がってきたディフェンディングチャンピオンのソフトバンク。史上初の顔合わせとなったシリーズは、波乱含みの開幕となった。

 第1戦。初回に広島が菊池の先制ソロなどで2点を先行。ソフトバンクは5回に代打デスパイネの適時内野安打と、広島守備陣の乱れによって試合を振り出しに戻した。その後は両チームのリリーフ陣が奮闘。ともにスコアボードにゼロを並べ続けた。今季から延長は15回から12回に変更になった。その12回を終わっても決着は付かず。史上3度目の第1戦引き分けとなった。

 史上3度目の第1戦引き分けだが、前回は1986年のこと。この年の日本シリーズは西武と、そして広島が対戦している。

 第1戦は、広島の本拠地、旧広島市民球場で今年と同じように2-2の引き分け。西武が2点をリードしながら、9回裏に小早川毅彦、山本浩二の2本のソロ本塁打で広島が追いつき、延長14回、時間切れ引き分けに終わった。

 続く第2戦。西武の先発マウンドに上がったのは、ソフトバンクの監督を務める工藤公康だった。この試合、西武は秋山幸二のソロ本塁打で先制するも、4回に工藤が正田耕三に2点適時二塁打を許し、2-1で広島が逆転勝ちした。舞台を西武球場に移しての第3戦、第4戦も広島が勝利し、1分けからの3連勝で広島が日本一に王手をかけた。

 潮目が変わったのは、第5戦だった。この試合、結果から言えば、1-1の同点で延長に突入し、延長12回に西武が劇的なサヨナラ勝ちを収めている。西武先発の東尾修、広島先発の北別府学が一歩も譲らぬ好投を見せ、ともに1失点に抑えていた。決着は12回。西武は無死から辻発彦(現西武監督)が四球で出塁し、伊東勤が送りバントを決め、辻は二塁へ進んだ。続く打者が広島の守護神・津田恒実から右前へ適時打を放ち、これがサヨナラ打。打ったのは延長10回からリリーフでマウンドに上がっていた、工藤公康だった。

史上1度しかない第8戦に突入した1986年の日本シリーズ

 短期決戦は少しのことで、流れが激変する。1986年の日本シリーズも、まさにそうだった。第5戦に工藤のサヨナラ適時打で劇的勝利を収めた西武は、広島に戻った第6戦、第7戦にも勝利して3連勝。第7戦を終えて3勝3敗1分。日本シリーズで、後にも先にも、この1回だけしかない、第8戦へともつれ込んだ。

 史上1度しかない第8戦。ホームの広島は3回、先発の金石昭人が、西武先発の東尾から2ランを放って先制。西武は6回に秋山が金石から2ランを放って同点に追いつくと、8回にブコビッチが勝ち越しの適時二塁打を放ち、ついに逆転に成功。東尾が3回、永射保が1回、そして渡辺久信が3回を投げると、最後にマウンドに上がったのは工藤だった。左腕は2つの四球を与えながらも、2イニングを無安打無失点に封じて、見事に胴上げ投手となった。

 この1986年の日本シリーズで、工藤公康はMVPに輝いた。第5戦のサヨナラ安打だけでなく、8試合で4試合に登板(先発1試合、リリーフで3試合)し、1勝1敗2セーブをマークした。工藤が流れを変え、工藤が最後を締めくくった日本シリーズだった。ちなみに、この年、広島でマスクを被っていたのは、現在、工藤監督のもとでヘッドコーチを務める達川光男だった。

 史上3度しかない第1戦の引き分け。そして、仕切り直しとなった第2戦で広島が勝利したところまで、1986年と重なる。工藤公康が“主役”になった。27日の第1戦に引き分け、28日の第2戦の前に工藤監督は「僕の時とは関係ないと思うよ」と語っていたが、果たして……。2018年の日本シリーズには、どんなドラマが待っているのだろうか。(福谷佑介 / Yusuke Fukutani)

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