シリア難民裁判から見る日本の特異性 高裁敗訴、「迫害の証拠」厚い壁

自ら経営するカフェの壁に飾ったアラブの絵画を眺め、故郷に思いをはせるユセフ・ジュディさん=2018年10月2日、さいたま市

 内戦の続くシリアの武装組織から解放されたジャーナリスト安田純平さんがトルコ・イスタンブールから成田空港へ向かっていた10月25日、同じシリアから日本に逃れた男性が日本政府に難民認定を求めた訴訟の控訴審判決が言い渡された。東京高裁は男性の控訴を棄却。政府は「迫害の恐れ」の明確な証拠はないとして男性を難民認定せず、一審も政府判断を支持、二審もそれに追随した格好となった。難民や国内避難民が全世界で6500万人を超え、日本政府の消極的な難民受け入れに国際的な批判が高まる中、日本で唯一開かれたシリア難民裁判は日本の難民認定の厳しい現状を改めて浮き彫りにした。(共同通信=特別報道室・平野雄吾)

ドイツは日本の5倍

 法務省によると、今年6月までにシリア人81人の難民申請を処理したが認定は15人。取り下げが6人おり、認定率は20%だ。日本政府もシリア人の場合、大半の不認定者に対して人道配慮から在留特別許可(在特)を出し、日本での生活を認めている。強制送還したシリア人はいない。だが、在特が日本での生活を認めるだけなのに対し、「難民」に認定されれば、旅券に代わる難民旅行証明書、つまり対外的な身分証明書が日本政府から発給される。日本への帰化要件も緩和されるなど権利面でその後の生活に大きな差が出てくる。

 内戦の激化に伴い、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は国外に逃れたシリア人を保護するよう各国に要求する声明を重ねて発表した。同事務所によると、「欧州難民危機」が始まった2015年、ドイツ政府はシリア人難民申請のうち決定の出た10万1442人の99・6%に当たる10万1137人を難民認定した。英政府は不服審査分も含めて決定を出した処理件数の86・7%に当たる2045人を難民として認めている。各国の難民認定制度に詳しい高橋済弁護士は「欧米諸国の多くは、シリア人に関しては反政府デモに参加したという理由だけで難民として認めている」と話す。

 一方、日本政府は「人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがある」との難民条約の定義を厳格に解釈し、立証を難民申請者に要求、不可能なら難民認定しない傾向が強い。これが日本では難民認定が厚い壁となる大きな要因となっている。

 今回、高裁で難民としての地位を否定されたのはシリア北東部ハサカ県出身で12年に来日したユセフ・ジュディさん(34)。難民申請を退けられ15年3月、東京地裁に提訴した。

ジュディさんがシリアにいた当時、北東部カミシュリで行われた反アサド政権のデモ=2011年5月(カミシュリのクルド人人権団体提供・共同)

少女の涙

 ジュディさんによると、シリア北東部カミシュリで12年春、アサド政権側治安部隊が約100人のデモに発砲するのを目撃、以後反政府運動に参加した。アサド大統領退陣を求めるデモ隊の前に車両4台で現れた治安部隊。見ていただけの市民にも無差別に発砲した。自動小銃を乱射する治安部隊、逃げ惑う市民―。「両親が撃たれ遺体にしがみつく女児の泣き声が忘れられない」

 反政府集会への呼びかけやバスの手配などに尽力した。地元の有力部族の家系だったこともあり、反政府運動の資金も出したという。だが、留守中に治安部隊が自宅に現れ、母親を殴り居場所を話すよう迫ったことを聞き、出国を決意。命の危険が迫っていると感じ、そのまま自宅に戻ることなく12年8月、ブローカーに1万5千ドル(約170万円)を支払い出国した。目指したのは中東民主化運動「アラブの春」以前から英国に暮らす弟(30)の元だったが、ブローカーにだまされ最終的に到着したのは成田空港だった。約2カ月間、入国管理局に拘束され資金も尽きたため、英国を諦め日本での難民申請に踏み切った。

「証拠なし」

 東京地裁は今年3月、ジュディさんの訴えを退けた。基本的に政府の主張に沿った判決で、林俊之裁判長は政権側の武力弾圧に関するUNHCRなどの報告に「報告通りの事実を直ちに認められるか疑問を入れる余地がある」とし、「治安部隊が自宅を訪れた証拠はない」と強調。「迫害の恐怖を抱く客観的事情は認められない」と判断した。ジュディさんの別の兄弟2人は13年にシリアから渡英、英政府がすでに難民認定している。

 東京高裁の村田渉裁判長は25日の判決で、あらためて「反政府デモや抗議活動に参加したことのみを理由に難民に該当すると認めるべき状況にあるとは言えない」と判断。原告側は高裁の審理で、ジュディさんの本人尋問を請求したが村田裁判長は採用せず、一方、判決で「控訴人の供述のうち主要な部分について信用性を肯定することはできない」と断じた。

難民認定を巡る訴訟の控訴審判決後、記者会見する原告のユセフ・ジュディさん=2018年10月25日午後、東京・霞が関の司法記者クラブ

 判決後、ジュディさんは記者会見で「日本の裁判が正義に基づいて裁かれるわけではないと分かった。日本には難民を受け入れるという法律は存在しなかった」と肩を落とし、「裁判を続けても意味はない」と上告断念を明らかにした。

 原告側弁護団の1人、難波満弁護士は「欧米に比べ、日本政府は本国政府から特に目を付けられている人しか難民認定せず、証拠を求めすぎる」と批判。「国際的に見てもこの判断が判例として残ることは将来の難民認定に大きな禍根を残してしまう」と悔しさをにじませた。

突出する低さ

 シリア人に限らず、日本の難民認定率はG7諸国と比べ、著しく低い。UNHCRの2017年のデータによれば、カナダ59・7%、米国40・8%、英国31・7%、ドイツ25・7%、フランス17・3%、イタリア7・5%に対し日本は0・16%だ。韓国2・0%の十分の一以下でもある。法務省は「我が国は欧州諸国と違い、シリアやイラク、アフガニスタンのような大量難民を生じさせる出身国からの難民申請が少ない。フィリピンやベトナムなどからの就労目的の乱用、誤用的な申請が相当数見受けられ、条約で規定する定義に申請者が該当するかどうかを適切に判断しているため極めて少ないとは認識していない」と説明する。だが、ジュディさんのケースを見れば、この説明を文言通りに受け取るのは難しい。国際社会からも批判は根強く、国連人種差別撤廃委員会は今年8月の対日勧告の中で難民認定率の低さに懸念を表明した。

 高橋済弁護士は「本質的には、日本政府に自由や民主主義を希求する人々を保護するという思想や哲学がないことが背景にある」と説明する。「助けを求める人に手を差し伸べる場合でも『外国人よりは日本国民をなんとかしろ』という風潮を政府が生み出している」

 ジュディさんは在特を得て定住者の資格で妻(32)や子ども3人とさいたま市で暮らす。長女(7)、長男(5)は妻と共にイラクに避難していたが、15年に来日、次女は17年5月に日本で生まれている。だが、ジュディさんは「迫害の恐れがある」として避難したため、在京シリア大使館に出生届を出せない状況が続いている。次女は事実上の無国籍状態だ。

 さいたま市でカフェ「ドバイ・アンティーク&カフェ」を営むジュディさん。旅券を所持しておらず、当面は日本で生活するつもりだ。「命に危険が迫って国を出るとき、母が治安部隊に殴られた証拠をどうやって集めて持ち出せばよかったのだろうか」。無念さが今も残っている。

© 一般社団法人共同通信社