石橋 凌 - 生粋の表現者が提示する"ネオ・レトロ・ミュージック"の新たな一頁

ジャズは新たなチャレンジとして相応しい

──これまでも『表現者』収録の「乾いた花」や『Neo Retro Music』収録の「Rock'n Rose」、『may Burn!』収録の「神風ダイアリー」といった楽曲から凌さんの指向する音楽とジャズの親和性の高さが窺えましたが、ここまで本格的にジャズと対峙したのは今回が初めてですね。

凌:もともと小学生の頃からいろんな音楽を分け隔てなく聴いて育ったので、ジャズを特別視することはなかったんですよ。というのも、僕は男ばかりの5人兄弟の末っ子なんですね。4人の兄貴は音楽の好みが見事に違って、一番上の兄貴はブラザース・フォアやピーター・ポール&マリーといったフォークソングが好きで唄っていて、2番目の兄貴はベンチャーズのコピー・バンドでドラムを叩いていて、3番目の兄貴だけ楽器や歌を一切やらなかったんだけど、黒人音楽が好きでね。ブルースやR&B、ソウル、ジャズを熱心に聴いていたんです。僕のすぐ上の兄貴はバンドを組んで、ストーンズやビートルズ、CCRとかを唄っていて。そんな環境だったから、今回のアルバムでも唄っているサッチモ(ルイ・アームストロング)の曲も小学生の頃から自然と聴いていたんです。自分は高校に入ってからアマチュア・バンドを組んで、当時はちょっと柔らかいフォークロックをやっていたんですけどね。

──こうしたジャズのスタイルもまた“ネオ・レトロ・ミュージック”の一環ということでしょうか。

凌:そうですね。ジャズ・シンガーに転向したわけではないですし、なれるわけもありませんし。ソロになって約10年が経って、自分の音楽のスタイルを“ネオ・レトロ・ミュージック”というネーミングで提唱したんですけど、それはつまり、古くて懐かしい匂いがするけど今の時代に見合う新しさを加えた音楽のことなんです。僕はそんな音楽を確立していきたいんですね。そのスタイルでミニ・アルバムを入れて3枚の作品を発表してきたんですが、その間に梅津和時さんから新宿のピットインでライブをやらないかと誘いを受けたんです。

──2012年5月に開催された、梅津さん主催の『プチ大仕事』ですね。

凌:はい。そのきっかけは、『表現者』の時に「魂こがして」を梅津さんのサックスと板橋文夫さんのピアノでレコーディングしたことだったんです。最初の『プチ大仕事』の時も梅津さんと板橋さんと3人でライブをやったんですが、翌年も『プチ大仕事』に出ることになって、今度はベースを入れたいねという話になったんです。それで古野光昭さんというベーシストを僕が提案させてもらったんですよ。ここ何年ずっとジャズ・バーに通っていて、国内外のジャズメンの演奏をけっこう聴くようになったんですが、そのなかでも際立ってすごい音を出していたのが古野さんだったんです。僕が観たジャズ・バーでは「素晴らしかったです」と古野さんにお声をかけただけだったんだけど、梅津さんと板橋さんの前で古野さんのお名前を出したら、古野さんはもともとクラシックをやっていて、その後ジャズに転向して、一時期は板橋さんと古野さんで渡辺貞夫さんのバックをやっていたそうなんです。

──2013年の『プチ大仕事』の後、札幌のジャズフェス(『SAPPORO SITY JAZZ〜Ezo Groove 2013〜』)にも出演されましたよね。

凌:梅津さん、板橋さん、古野さんと4人でね。その後にオファーのあった博多のジャズフェス(『中州ジャズ』)には、ギターの藤井一彦君とピアノの伊東ミキオ君という今のバンドのメンバーと出たんですけど。

──ライブで計3回、畑の違うミュージシャンとセッションしてみて、率直なところどう感じましたか。

凌:ジャズは小さい頃から慣れ親しんだ音楽ではあったけど、やはりすごく難しかったですね。でも難しいからこそチャレンジのしがいがあったし、ジャズの人たちから見れば新参者かもしれないけど、自分としてはぜひトライしたいジャンルではありました。唄い手としてとても勉強になるし、60歳を過ぎてからまた新たにチャレンジしていくのに相応しいジャンルだなと。

アナログレコードの良さをもう一度体験したかった

──梅津さん、板橋さん、古野さんとのグループは“石橋凌 JAZZY SOUL”というネーミングでしたが、今回の作品は“石橋凌 with JAZZY SOUL”という名義で、梅津さん以外はメンバーが違うんですよね。

凌:今回のレコーディング・メンバーとは去年、名古屋のブルーノートと丸の内のコットンクラブでライブを一緒にやったんです。ドラムの江藤良人さんは僕が通っていたジャズ・バーで何度もお見かけしていて、お若いのにすごいドラムを叩く人だなという印象がありました。ウッドベースのバカボン鈴木さんはかつて村上“ポンタ”秀一さんと一緒にバンドをやられていて、僕もテレビの音楽番組で共演したことがあったんです。そして梅津さんから「今の若手のジャズ・ピアニストでナンバーワンだよ」と紹介されたのが林正樹さんだったんです。

──名古屋と丸の内のライブに大きな手応えを感じたからこそ、これはぜひ作品として残しておきたかったと?

凌:はい。今回のアナログレコードを出す話を最初に持ってきてくれたのは、PERSONZの渡邉貢だったんですよ。貢が僕の事務所に電話をくれて、実はこういう話があるんですけど、どうですか? ということで。自分としてはJAZZY SOULの面々と充実したライブをやれていたし、このメンバーとならいいアルバムが作れるんじゃないかと思ったんですね。それとやはり、アナログレコードの音の良さをもう一度自分でも体験したかった。音楽配信が主流になりつつある今の時代だからこそ、お客さんに良い音で届けたかったんです。自分がソロを始めて以降、ライブでもレコーディングでもミキサーさんには「とにかく“深くて豊かな音”をお願いします」と言い続けてきたんですよ。なぜなら配信サービスの音質は中音域だけが強調されて、低音域も高音域もないじゃないですか。それを本当に音楽と呼べるのかな? という思いが絶えずあったんです。だから合言葉のように「“深くて豊かな音”にしたい」と何度も言ってきたんですよ。

──“深くて豊かな音”を実践するにはアナログレコードで出すのが一番ですよね。

凌:そうですね。レコーディング自体はデジタルなんだけど、録った音をアナログに転化して、カッティングも今回初めて立ち会わせてもらったんです。エンジニアさんの後ろで音を聴きながら、プレーンな盤に音を刻み込む作業を見せてもらったんですけど、カッティング・マシンには顕微鏡のようなスコープが取り付けられてあったんです。それでラッカー盤の溝を確認するんですが、「どうぞ」と言われて僕も覗き込んだんですよ。その溝にはストレートな曲線とうねった曲線があって、溝の幅が広いほど音が良いそうなんです。それでレコーディングでは12曲録ったんですが、収録したのは全部で8曲にしたんですよ。当初は片面に5曲ずつ入れるつもりだったんですけど、12インチ・サイズのレコードで音を良くするためには片面20分前後が好ましいと言われまして。

──溝の幅を少しでも広くするために曲数を減らしたと。

凌:そうなんです。今回は東洋化成さんがわざわざ片面5曲と片面4曲の盤をカッティングしてくださって、それを聴き比べてみたんですが、音の違いが歴然だったわけです。梅津さんのサックスの音色、林さんのピアノの深み、全体の音の飛び出し方…もう何もかもが違った。5曲入りの盤の僕の歌は斜がかかったように聴こえたけど、4曲入りの盤はものすごく歌がクリアでしたしね。1曲減らしただけでこんなに違うものなんだと驚いて、その場ですぐ8曲入りに変更しました。

──あまり情報量を詰め込みすぎないほうが結果的に音が良くなるということなんでしょうか。

凌:そうなんじゃないですかね。それに、レコードの溝が外周から内周に進むにつれて音は劣化していくものなんです。だからレコードの場合、1曲目や2曲目にいわゆる推しの曲を入れることが多いんですね。じっくり聴かせたいバラードなんかは1曲目や2曲目に持ってきたほうが良いですよと言われて、なるほどなと思いました。

──それで1曲目はスロー・テンポで抑揚をつけて唄われる「SOUL TO SOUL」を持ってきたわけですか。

凌:それもあったんですけど、曲を並べてみて非常に良い流れだと思ったんですね。

本来意図していたアレンジに近い「淋しい街から」

──どんな意図があってこの8曲を選ばれたんですか。

凌:東洋化成さんからはできればオリジナルを多くしてくださいというリクエストがあったんですが、今回入れた「ALL OF ME」や「WHAT A WONDERFUL WORLD」といったスタンダードはぜひ唄ってみたかったんです。たとえば「ALL OF ME」はいろんな人がカバーしていて、いろんなバージョンを聴きましたけど、曲そのものはこんなに短いのに、すごくよくできているなと思ったんですよ。それは歌詞も含めてね。これまで自分が唄い続けてきたメッセージ性やテーゼのある内容ではない、純粋なラブソングだけど、詞もメロディもとてもシンプルでよくできている。そういう曲を後世に伝えていくべきだと思ったんです。サッチモの「WHAT A WONDERFUL WORLD」もジョーイ・ラモーンが8ビートでカバーしていましたけど、どんなビートでやろうが、特に今この時代に唄うことがとても意味のあることだと思ったんです。ジャズのスタンダードだから採り上げるわけじゃなく、純粋に良い曲だから、唄い継いでいきたい曲だから採り上げたんですよ。

──「SOUL TO SOUL」、「PALL MALLに火をつけて」、「INFINITELY」、「淋しい街から」といったかつてのバンド時代の楽曲は、ジャズのアレンジに合いそうだという観点から選ばれたんですか。

凌:そうですね。特に「淋しい街から」がそうでした。この曲は僕が上京する前、19歳の時に自分が生まれ育った久留米の街を書いたものなんです。当時の自分が想定したアレンジは、その頃によく聴いていたボズ・スキャッグスやマイケル・フランクスみたいな感じだったので、今回のアレンジが本来意図していたものに近いんですよ。40年経って初めて自分が納得できるものができましたね。原曲はバンドありきのものだったし、メンバーそれぞれのアイディアを組み入れるべきだと思っていたので後悔はしていませんが、自分が曲を書いた時に思い浮かべていたサウンドやアレンジは梅津さんが今回やってくれたものに近いんです。

──全曲のアレンジを手がけた梅津さんの手腕が見事ですよね。どの曲も原曲の世界を踏襲しながら新たなニュアンスを加えるバランスが絶妙で。

凌:リハーサルの段階から素晴らしいアレンジだったし、それをメンバーの皆さんが過不足なく形にされていて、これは必ず良いアルバムになるとレコーディングの前から確信しました。とにかく今回は梅津さんのアレンジとサウンド・プロデュースに尽きますね。他のメンバーに対してのディレクションも非常に的確でしたし。

──レコーディングは山中湖スタジオで合宿されたそうですね。

凌:はい。皆さんの出す音には何の不安もなく、スムーズにやれる方ばかりだったんですけど、歌詞の世界や背景にあるものを共有してほしくていろいろと話したんです。「淋しい街から」もそうでした。自分が生まれ育った久留米はゴム産業発祥の地で、いつもゴムが焼ける匂いがしていて、家の近くに流れていた川でよく遊んで…みたいなことを話して。そしてこの曲を色にたとえるならグレーです、と。

──“灰色に褪せた街”ですからね。

凌:そういった景色を音で出してもらいたかったんです。情景が見えるような音作りを今回はお願いしたかったんですね。その辺りの意図を皆さんよく汲んでくれたと思います。今回の「淋しい街から」のアレンジはリズム的にはラテンなんだけど、スカッと抜けた気持ちの良いラテンじゃないんですよ。“灰色に褪せた街”だから翳りのあるラテンなんです。

──直近の『may Burn!』から2曲、「パライソ」と「名も無きDJブルース」が選ばれたのはなぜなのでしょう。特に「名も無きDJブルース」は、音楽が消費されるサイクルが異様に早い昨今、愛のない国に成り下がってしまった日本を憂う歌を改めて世に問いたかったからですか。

凌:『may Burn!』の「名も無きDJブルース」はジャジーなアレンジでお願いしたんですけど、あの時は渡辺隆雄さんのトランペットを入れてもらったんですね。隆雄さんとは歌詞を目の前に置いて、かなり話し込んだんです。あの隆雄さんのトランペットは怒りのメッセージだったんですよ。

あくまでもJAZZY SOULというユニットの作品

──基地の問題を一方的に押しつけられる沖縄、震災後の復旧の取り組みを蔑ろにされ続ける福島、悪政のはびこる首都・東京と、大切なことが置き去りにされたままになっている今の日本に対する怒りですね。

凌:うん。スローの4ビートで唄ってはいるけど、内面ではとてつもない怒りの感情が渦巻いているんです。その怒りの心情を隆雄さんにトランペットで吐露してもらったんですね。あのテイクはあのテイクで僕は好きなんだけど、今回はJAZZY SOULとしてのアレンジでまた違うアプローチをしてみたかった。梅津さんたちにお願いしたのは、あまり感傷的にならないようにしてください、と。ペシミスティックに浸るのではなく、聴く人に何らかの画を思い浮かばせるような演奏をしてくださいと話したんですね。かつてのバンド時代の曲は自分が作詞・作曲したものに限って今もライブで唄っていますが、当時の曲を今やっているバンドで再現して世に問いたいわけですよ。『may Burn!』に入れた曲も同じことで、JAZZY SOULと一緒に再現したらどんなことになるのか楽しみだったんです。「パライソ」もそうで、ベースの渡辺圭一君による原曲のアレンジもすごく気に入っていますが、梅津さんのアレンジもまた面白い感じになりましたからね。

──19歳の時に書いた曲から30代の半ばに書いた曲、60歳を過ぎた頃に書いた曲まで生まれた時期はバラバラで、おまけにスタンダード曲まで入っているのに、こうして並べると不思議と統一感がありますね。

凌:当初考えていた12曲から8曲に変えたことで並びが変わってしまったんですが、8曲バージョンの並びがすごく良かったんですよ。梅津さんに「この並びでどうですか?」と訊いたら「すごくいいね」と言われましたし。

──ちなみに、選曲から漏れた4曲は何だったのですか。

凌:「ROUTE 66」と「TOKYO SHUFFLE」、「ジャックナイフ・ブルース」と「AFTER '45」という昔のオリジナル曲ですね。このアナログレコードにはCDが付録として付くんですけど、そのCDは「ジャックナイフ・ブルース」をプラスした9曲入りなんです。

──「PALL MALLに火をつけて」のドラム・ソロ、「ALL OF ME」のクラリネットやピアノのソロなど、どの曲もJAZZY SOULの聴かせ所があって、凌さんがメインではあるけれどもこれはあくまでバンドであるという主張を感じますね。

凌:自分のアルバムではあるけど、自分の歌のアルバムではないんです。JAZZY SOULというひとつのユニットのアルバムなので、皆さんの演奏が活きたアレンジになっています。それで1曲の時間が長くなってしまったのもあるんですが、リハーサルの段階からあえて削らなかったんですよ。あまりにも素晴らしかったので、このままで行くことにしました。国内外のいろんなジャズメンがカバーしているスタンダードを2曲入れたのも、「これがJAZZY SOULなりの『ALL OF ME』ですよ」、「これがJAZZY SOULなりの『WHAT A WONDERFUL WORLD』なんです」というのをちゃんと言いたかったからなんです。ジャズの世界に身を置く人からすればただの新参者に見られるだけかもしれないけど、そう思われるならば甘んじて受け入れるしかないと思っています。60歳を越えて新たにチャンレンジしていることなので、至らぬ点は多々あるでしょうし。ただ、チャンレンジするに値する世界だと僕は思っています。ジャズメンの音の作りや演奏のテクニックは純粋にすごいし、ただただ感服しますね。

──でも、凌さんの熟練の歌唱力も演奏に引けを取っていませんよね。水を得た魚のように生き生きと、もとい“粋粋”と、時に力強く、時に優しく、感情の起伏と呼応しながら七色の歌声を自由自在に操っているじゃないですか。

凌:そんなふうに聴いてもらえたら嬉しいですけど、ソロになって以降、唄い手としてどれだけの力を発揮できるかというのは常に考えています。いちシンガーとしてどれだけのことができるのか? というチャレンジが、このJAZZY SOULのメンバーとなら何の心配もなく自在にできるんです。

──それが窺えるように、このアルバムでの凌さんはとにかく気持ち良く唄っているのが伝わりますね。

凌:どの曲もほぼ一発録りでしたしね。手直しもほとんどしなかったし、多くやって2テイクでした。音に関しては完璧に委ねられたし、演奏中の皆さんのプレイからインスパイアされるものがあったし、その瞬間に唄い方も自ずと変わってくるんです。

利便性を追求するあまりに失われたもの

──相互作用があるわけですね。先ほど凌さんが仰った、ジャズ・ボーカルの難しさとはどんなところなんですか。

凌:梅津さんと板橋さんと古野さんとピットインでライブをやった時、スローなバラードを唄うのにどうリズムを取れば良いのかわからなかったんですよ。4ビートの曲に乗るのはわかるんですけど、浮遊感のあるリズムレスみたいなサウンドの時に歌がどうリズムに乗れば良いのかわからなくて、愚問かもしれないけど訊いてみたかった。まぁ、向こうの人からすれば「乗りゃあ良いんだよ」ってことなんでしょうけどね(笑)。

──ジャズの世界でお手本とするシンガーはいらっしゃいましたか。

凌:僕がシンガーとして一番尊敬しているのはエラ・フィッツジェラルドなんです。好きなアーティスト、ミュージシャンということで言えばジョン・レノンなんですけど、唄い手で言えばエラなんですね。宇宙一歌が上手い人だと思っているので。テンポの速い曲からバラードまで何でも自在に唄うし、あの声はまさに唯一無二だと思います。日本にも美空ひばりさんのような素晴らしい歌手がいたし、ジョー山中さんは少なくともアジア一歌が上手いと僕は思っていましたが、そういう人たちを飛び越えて宇宙一上手いシンガーが僕にとってはエラなんです。歌が演奏と溶け合って楽器みたいなんですよ。

──今回の『粋る』というアルバム・タイトルは『may BURN!』に通ずるちょっとした言葉遊びですが、“生きること”と“唄うこと”が同義語である凌さんの作品に相応しいタイトルですね。

凌:ジャズはやっぱり粋なものだし、せっかくのアナログレコードだからジャケットでも粋な遊びができると思ったんですよ。たまたまテレビで見ていた情報番組に岡田親(ちかし)さんという寿司屋の大将が出ていて、趣味で絵を描いていらっしゃるというんです。しかもジャズメンの絵も描いていらっしゃると。その上、ご自身もジャズ・ドラマーなんですね。その絵を見て素晴らしいと思っていたので、デザイナーを通して今回のアルバム・ジャケットを岡田さんにお願いしたら引き受けてくださったんですよ。

──音は深くて豊かだし、大きなジャケットで遊べるし、アナログレコードの魅力を再発見できる作品と言えますね。

凌:今の20代、30代はアナログレコードのあの温かみのある音を知らないじゃないですか。それはすごくもったいないし、今の時代の音楽の伝え方は果たしてこれで良いのか? とも思うんです。利便性を追い求めてプレイヤーがどんどん小さくなってきた代わりに、豊かな音はますます失われつつある。さっきも言ったように、聴こえてくるのが中音域だけの音楽なんて本当に音楽と呼べるのだろうか? と疑問に感じますね。ただこういうことは、僕のもう一方の仕事である俳優業でも映画界に対して感じるんです。昨今の映画ではフィルムカメラでの撮影がどんどん減って、今やデジタルカメラでの撮影が増えている。ものすごくクオリティの高い高感度のカメラがいっぱい出てきて、たしかに画はものすごく綺麗なんだけど、体感する温度が冷たいんですよ。それは音も同じで、アナログレコードは体感する音が温かいんですね。デジタルはどこか冷たい。今や音楽でも映画でも同じことが起こっているんです。

──最新のCG映像もどこか冷んやりとしていますよね。昔の合成技術はたしかにぎこちなかったけど、どこか愛おしいところがあった気がします。

凌:うん。最新のデジタル技術は果たして進化と呼べるのだろうか? むしろ退化なんじゃないか? とすら感じます。ただここ数年、アメリカを中心にカセットテープやテレコの人気が再燃しているじゃないですか。日本にも専門店があるみたいだし。そういう揺り戻し現象と言うか、「良いものをなぜなくしてしまうの?」という動きは絶えずありますよね。同じようにアナログレコードも今また再評価されているし、今回のリリースは本当に良い話をいただいたと思っているんです。

ジャズも落語も間や緩急の付け方が大事

──こうしてジャズというジャンルとがっぷり四つに組んで見えてきたものはありましたか。

凌:知れば知るほど深い世界だなと思いましたね。ジャズのプレイヤーもシンガーも、クラシックとか基礎となる音楽をしっかり学んだ上でジャズに転向した人がほとんどだと思うんですよ。一見、ムードに合わせて気ままに演奏しているように見えるかもしれないけど、実はちゃんとした理論に基づいて演奏されている。僕はもうそういう基礎や理論を学ぶことができないので、音をしっかりと耳で聴いて、自分のやれることをちゃんとやるしかないと思っています。ジャズ・バーに通いながら、音の緩急の付け方や間合いを見て勉強したりね。ある本によると、1960年代の日本のジャズメンはライブの前に楽屋でよく落語を聴いていたそうなんです。それはすごくわかるような気がするんですよ。

──山下洋輔さんを始め、ジャズメンには落語のファンの方が多いですしね。

凌:ジャズも落語も間や緩急の付け方が大事じゃないですか。それは自分が今やっているバンドにも言えることだからとても勉強になるし、刺激を受けるし、俳優業でも有益なんです。俳優業と音楽業はまったく違う仕事なんだけど、ジャズや落語から学べることは非常に多いんです。客としてジャズ・バーに通ったり、今回のようにジャズ・ミュージシャンの方々と接してもそれは強く感じますね。

──輝かしい過去の名声には目もくれず、60歳を過ぎてもなおジャズという新たなチャレンジを続ける凌さんの行動力の根源にあるものとは何なのでしょうか。

凌:僕は“本物”になりたいんです。小さい頃から洋楽のフォークやロック、黒人音楽をいろいろ聴いて、古今東西の洋画もたくさん観て憧れました。自分が俳優になる前から、海外の俳優はなぜあれだけナチュラルな芝居ができるんだろう? と思っていたし、いろんな俳優の本も読みました。別に俳優になりたいとは思っていなかったけど、昔から純粋に映画が好きだったので。そういう音楽も映画も日本人にとっては欧米から輸入した借り物の文化で、日本人特有の器用さで日本独自の音楽や映画を生み出したけど、オリジナリティが希薄なところがありますよね。だから海外の人には猿真似だ、モンキー・ビジネスだと思われてしまう。全部が全部、そういうわけではないですけど。

──海外の音楽や映画の換骨奪胎ではなく、真の意味でオリジナリティのある音楽や映画に携わっていきたいと。

凌:日本でももうさすがに本物が出てきても良い頃だと思うんです。何が“本物”なのかと言えば、日本語で日本人が感ずるものを、本場の音楽や映画の本質に沿って作り上げたもの。日本から海外へ発信しても決して恥ずかしくないもの。“本物”の定義は人それぞれだから一概には言えないかもしれないけど、自分の信ずる“本物”まで手を届かせたいんです。シンガーとしてもアクターとしても、真似っこで借り物の文化のまま終わらせたくない。「最初はそちらから学んだけど、これが自分のオリジナルなんだよ」というものを何とか見つけ出したいわけです。

音楽も映画も“本物”を目指すしかない

──シンガーとして40年、アクターとして30年以上のキャリアを積んでもまだ見つからないものなんですか。

凌:まだ辿り着けませんね。なぜなら“本物”になれる環境に乏しいから。僕は単身アメリカへ乗り込んでオーディションを受けて、向こうで演技が認められてスクリーン・アクターズ・ギルド(全米映画俳優組合)の会員にまでなりましたが、ただ日本で芝居をやっているだけでは“本物”に触れる場面になかなか出くわさない。今の自分の夢のひとつは、音楽で海外をまわることなんです。アクターとしては欧米やアジアの映画人と一緒に仕事ができたけど、シンガーとしてはまだそういう機会がないので。だからいつか自分なりの音楽で海外に挑戦したいんです。小さい頃に憧れた海外のアクターやシンガーと同じレベルまで行きたいという願いが絶えずあるんですね。

──海外と日本のもの作りの現場で一番の違いは何なのでしょう?

凌:日本のもの作りの現場は海外のレベルまで近づきたい、対等でありたいという思いが希薄だし、いかに手っ取り早くお金を儲けるかを優先しているように僕には思えます。それに音楽業界も映画業界も、もの作りの本質的な部分でこだわり抜く人が少なくなってきましたね。シンガーとアクターを生業としている以上はその最高峰を目指さないとやる意味がないし、そこまでの高みを目指さないのなら別に他の仕事でも良いんじゃないかと思う。僕は映画でも音楽でも、ちゃんと現実を見据えて描きながらお客さんに楽しんでもらえるものが好きなんですよ。ところが日本にはそういうエンターテイメントがなかなかないし、同じ志を持った人と一緒にその到達点を目指すしかないと思っているんです。

──良質なメロディと歌詞で日本の暗部を炙り出す「名も無きDJブルース」のような歌を唄えるシンガーもなかなかいませんからね。

凌:それが自分のスタイルだし、絵空事をわざわざ引っ張り出して唄っているわけじゃないんですよ。僕が現実を現実として受け止めて唄うのは、ジョン・レノンやボブ・ディラン、デヴィッド・ボウイといった欧米のミュージシャンから受けた影響なんです。「これが世の中の現実だ。俺はこう思うけど、君はどう思う?」と彼らは絶えず問い続けてきたし、それがロック・ミュージックの在り方だと僕は思っていた。聴き手と対話できるのがロック・ミュージックだと信じていましたから。

──“押しつけ”ではなく“問いかけ”であると。

凌:ドライブが楽しくなる音楽や彼女と踊りたくなる音楽があってももちろん良いけど、ロック・ミュージックが他の音楽と差別化できるのは対話ができること、意識の交換ができることなんです。それが音楽や歌の力の本質だし、かつてのバンドではそういうことをやってきたつもりだったのに、結局は受け入れられなかったわけです。あらゆる物事がコマーシャリズムに偏ってしまって、この国に本当の意味でロック・ミュージックが根づくことはないのかもしれないと愕然としてしまった。海外ではジョン・レノンやボブ・ディランが反戦のスタンスを打ち出してもメディアが必ず取り上げたじゃないですか。それが日本では臭いものには蓋をして、ただ耳障りの良い商業主義第一の音楽が巷に溢れるだけ。それはロックの歴史が浅いせいなのか、民度の低さなのかわかりませんけどね。だから僕が“ネオ・レトロ・ミュージック”という音楽スタイルを提唱したのは、もう自分のことをロック・ミュージシャンと言いたくないのもあるんです。ロック・シンガーとも言いたくない。ただの唄い手、シンガーでありたいんですね。本場のエンターテイメントの本質を意識しながら、決して海外に引けを取らない“本物”のシンガーになりたい。何を考え、何を唄うか? に関しては、十代の頃に久留米でアマチュア・バンドをやっていた頃と何ら変わっていません。良い時代の普遍的な音楽を今の時代に沿った形に切り取り、しっかりと歌い継いでいく。僕が確立したい“ネオ・レトロ・ミュージック”とはそういうものなんです。

*来年の3月、4月にデビュー40周年のツアーを全国7カ所で予定しています。

(Rooftop2018年11月号)

© 有限会社ルーフトップ