冠水で苦闘も貴重な経験 マラソン川内、原点は反骨心

コースが一部浸水したベネチア・マラソンに参戦した川内優輝=10月28日、ベネチア(ヴェニスマラソン日本事務局提供)

 世界中のマラソンを走ってきた型破りの公務員ランナー、川内優輝(31)=埼玉県庁=にとっても信じられない光景だった。「水の都」として知られるイタリア北部ベネチアで10月28日に行われたベネチア・マラソンは悪天候による高潮の影響でコースの一部が浸水する事態に陥った。終盤は膝下まで海水に浸りながら苦闘し、トップから14分以上遅れて2時間27分43秒の7位でゴールしたが、各国でその過酷なレースが反響を呼んだ。
(共同通信=田村崇仁)

過酷な初体験

 122回の歴史を誇る4月のボストン・マラソンで瀬古利彦以来となる日本勢31年ぶりの優勝を果たし、国内外でその名は知られた存在だ。猛暑から氷点下の気象条件まで数々の経験を重ねている川内でも「(ハーフマラソンを含め)530回を超えるこれまでのレース経験で初めて」と驚くしかない状況だった。

 ベネチア郊外をスタートし、本島にゴールする大会は観光名所サンマルコ広場に向かう40キロ付近にある約170メートルの橋がこの大会のために架けられ、通称「幻のマラソン橋」と呼ばれて有名だ。だが激しい風雨で翌29日には水位が通常より最大156センチ上昇し、市内の約75%が浸水したという緊急事態。スタート前は2パターンのコースを説明され、冠水で走れない部分を迂回するコースを使ったものの「最後の3キロくらいはこれまで走ったこともないようなコースと海が一体となった状況が続き、非常に走りにくかった」と思わぬ〝難敵〟を前にペースが上がらなかった。「ボストンチャンピオンとして本当に恥ずかしい結果」と厳しく自己評価しながらも「ぼろぼろだった心や体に『何だこれは!』という新鮮な感覚を与えてくれたような気がした」と貴重な経験を前向きに捉えたのが川内らしい。

ベネチア・マラソンに参戦した川内優輝=10月28日、ベネチア(ヴェニスマラソン日本事務局提供)

来春からプロ活動

 自ら「陸上界の落ちこぼれ」と評する異色のランナーは「生涯現役」を目標に掲げる。1月の米国では気温が氷点下17度という極寒マラソンも完走した。最近は「アフリカの選手から『君はクレイジーか』なんて言われる」と冗談めかすが、仕事と競技の両立を貫く上でレースも練習の一環だ。空前のマラソン人気が続く中、毎週のように大会に参戦。市民ランナーの仲間と登山道や林道を長時間走る創意工夫も重ねて鍛錬する原動力は「実業団選手に負けたくない。僕みたいにスピードがなくたってマラソンなら粘りと根性でやれるんだと証明したい」という反骨心が支えている。

 周囲も驚く大食漢でレース前日は大盛りのカレーライスが定番だが、ベネチアでは大好物のティラミスが生まれた北イタリアで地元協会から名誉会員に認定されるなど、忘れられない遠征となった。来春からは代名詞でもある公務員ランナーを卒業し、プロ転向してさらにマラソンに全力投球する考えだ。「まずはプロ活動のための土台をしっかり築き、世界中の海外レースでこれまで以上に戦って勝負強さを磨きたい」と意気込む。

 「暑さが苦手」と公言するため2020年東京五輪には意欲を見せていないが、周囲は独自スタイルで「完全燃焼」できるその走りに期待する。本人は21年世界選手権(米オレゴン州ユージン)でのメダル獲得を当面の目標に置く。ただその前に「次回は天候も自分自身の状態もパーフェクトな形でいい結果を残し、笑顔で大好きなティラミスを食べたい」とベネチアでの再挑戦を期した。

川内 優輝(かわうち・ゆうき) 埼玉・春日部東高から学習院大へ進み、箱根駅伝に関東学連選抜で2度出場。マラソンでは11年東京で初めて2時間10分を切る2時間8分37秒で3位に入り、13年ソウル国際で自己最高の2時間8分14秒で4位。14年仁川アジア大会で銅メダルに輝いた。世界選手権は3度出場し昨年の9位が最高。今年3月には2時間20分を切った回数として当時の78回がギネス世界記録に認定された。埼玉県庁。175センチ、62キロ。31歳。東京都出身。

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