『ドライブインまほろば』遠田潤子著 「親」であり「子」であるという業

 親から酷い目に遭わされてきた子どもばかりが出てくる。主人公の少年だけでなく、その親もそうだし、その配偶者もそうだし、通りがかりで知り合ったばかりの女性もそうだ。親を憎んで憎んで、早く自分ひとりで軽やかに生きていきたい。でも簡単に断ち切れるほど、「親と子」の因果はやわじゃない。たぶん、その因果は「スライム」的ななにかでできている。自分と親とを結ぶ線上のスライムの上に、どんなに鋭い刃物を振り落としても、振り落としても、その因果は刃にねばつく。そうこうしているうちに、また以前のようにどろりとつながってしまうのである。

 物語は、少年が「流星」という名の男を金属バットで殴り殺す、ショッキングなシーンから始まる。少年の名は「憂」。彼の母親は、死んでいる自分の夫のことしか眼中にない。「あなたがいなくなったら私はどうしたらいいのよお」と泣き崩れる母を尻目に、憂は妹の「来海」を連れて逃亡の旅に出る。

 人里離れた山中で「ドライブインまほろば」を営む「比奈子」は、愛しい一人娘を5歳で亡くしている。交通事故。ハンドルを握っていたのは比奈子の母だった。母は、比奈子の痛みと悲しみを、逆なでするみたいに媚びへつらう。「あのときはほんとうにごめんなさい」と「あなたと以前のように仲良くしたいのよ」を振りかざして、母は比奈子をあの日に引き戻し、そこへ縛り付ける。

 死んだ男の双子の兄「銀河」は、是が非でも憂と、彼が持ち去ったパソコンを取り戻さなくてはならない。兄弟で継続的に行ってきた犯罪にまつわるデータが、全部そこに入っているからだ。

 そして、憂と来海は「ドライブインまほろば」にたどり着く。夏休みの間だけ、ここに置いてくれと、憂は比奈子に懇願する。この子たちを守ると胸に決めた比奈子のもとで、憂も来海も少しずつ、子供らしさを取り戻していく。

 読み進めるうちに明かされていく、それぞれの秘密。ひとつひとつが、とても痛い。悪事に手を染めた銀河と流星は、最初はこんなオオゴトになるとは思ってもみなかった。流星は野球が大好きだったのに、こんな世界に引きずり込んだのは俺だと、銀河は自分を責めている。憂の母は、世界のすべて(ただし流星以外)を憎みながら生きてきた。憂が流星から被った虐待は、流星がかつてされていたことと同じだった——。

 その登場人物に「救い」が訪れるのを、焦れに焦れながら読み進める。残りのページ数はこれしかないのに、彼らはまだ、めちゃめちゃつらそうである。ああお願い。なんとかして。やきもきが限界に達しそうになったところで、たどり着くラストシーン。キーワードはひとつだ。「生きる」。なんとしても生き続ける。

 絶望を払拭する必要はない。無理に希望を抱く必要もない。ただ、時間が、痛みを撫でていく。その流れに身を委ねるのみなのである。

(祥伝社 1700円+税)=小川志津子

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