【聖域の素顔-阿蘇神社の被災修復(上)】部材が伝える造営背景 大事業…藩の助力裏付け

©株式会社熊本日日新聞社

解体した楼門の部材を記録する文建協の石田陽是さん=10月26日、阿蘇市

 熊本地震で被災した阿蘇神社(熊本県阿蘇市)の復旧着工から約2年。楼門や神殿など国指定重要文化財6棟は修復と並行して部材の調査が進み、その価値や造営の背景があらためて明らかになっている。解体も要する大規模工事だから間近に見ることができる“聖域の素顔”に迫る。

◇   ◇

 「これだけ目の詰まった巨木は、数百年かけてじっくり成長したからこそ。現在では手に入れるのが難しい良材です」

 根元が裂け、所々がえぐれた柱や梁[はり]が大量に並ぶ、阿蘇神社境内の格納庫。工事を設計監理する文化財建造物保存技術協会(文建協)の技術職員、石田陽是[あきよし]さん(28)は、部材の大きさや破損の程度などを記録する作業を進めている。

 国重文6棟は、解体されて一時的に姿を消している「楼門」と両脇に構える「還御門[かんぎょもん]」「神幸門[みゆきもん]」、拝殿の奥に左右に並ぶ「一の神殿」「二の神殿」、さらに奥に立つ一回り小さい「三の神殿」。熊本藩の寄進を受け、1835年から15年かけて約300年ぶりに再興された。

 6棟とも構造にはスギ、装飾部分にはケヤキが多用されている。「節の無い最高級の材木が、最も格の高い一の神殿に優先して使われている」と文建協は読み取る。

 造営当時、材木の調達は大きな課題だった。阿蘇市教育委員会と神社がまとめた調査報告書によると、阿蘇谷を中心に水俣や荒尾など熊本藩領全体から数千本を収集。切り出しに4年近く要した。

 部材の中でも大きい長さ約11メートルの楼門隅木[すみぎ]は重さ1トン弱。「巨木を流せる河川は周辺になく、運搬は相当な労力を要しただろう」と石田さん。数十万人が投入されたという大事業に思いを巡らす。

 解体した楼門の隅木からは地元の調達先を記した墨書[ぼくしょ]が見つかった。材木の伐採や目利きをした山師37人の名を連ねた銘板も見つかり、全員が当時熊本藩領だった大分市の出身と判明した。

 「藩全体の助力体制が構築されていたことを示唆しており、『肥後国一の宮』を象徴する事業だったことが分かる。行政史料の内容を墨書が裏付けた意義は大きい」と阿蘇神社権禰宜[ごんねぎ]で学芸員の資格を持つ池浦秀隆さん(47)は評する。

 社殿は明治以降、何度も補修され、その履歴は材木に残る。戦時下の1941年ごろは、日本統治下の台湾で伐採した高級木材のタイワンヒノキを神殿修理や拝殿新築に使用していた。現在は伐採が禁じられている。国産ヒノキは質感が異なるため修復に使えず、丸ごと新材に取り換えざるを得ないところだった。

 しかし文建協は、全壊した拝殿の部材を転用することを提案。未指定文化財だったことが可能にした。「古材は一度失えば二度と手に入らない。転用は、地震で一度に被災しなければありえない異例の対応策で、今回の復旧工事の特徴にもなるだろう」(中尾有希)

(2018年11月9日付 熊本日日新聞朝刊掲載)