南野も含む「海外組ハットトリック経験者」、全員○○だった

日本人で初めてELでハットトリックを達成した南野拓実。

今回は、日本人選手が欧州の主要なリーグやクラブで達成したハットトリックの歴史を振り返ろう。実はその経験者全員が○○だったぞ。

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豊川雄太(オイペン)

直近にハットトリックを記録したのは、今年1月からベルギー1部オイペンでプレーする豊川雄太だ。

海外移籍前の豊川は、2016年AFC U-23選手権の準決勝イラン戦で決勝点をあげたもののリオ五輪には落選し、J1で結果を残したこともなかった。

それでも当時リーグ最下位のオイペンは豊川の獲得に動き、ディレクターのクリストフ・ヘンケル氏は「ユータは1部残留を目指すチームの手助けとなる」とコメント。

加入時のよくある“リップサービス”という感じであったが、今年3月11日に開催されたレギュラーシーズンの最終節ムスクロン戦でヘンケル氏の言葉が現実のものとなる。

残留に3ゴールが必要な段階で投入された豊川は、なんとそこからハットトリック(+1アシスト)を達成し、元フランス代表MFクロード・マケレレが率いるオイペンを奇跡的な残留へと導いたのだ。

クラブ史に残る偉業を成し遂げた豊川は試合後、ピッチへとなだれ込んだオイペンのサポーターから胴上げされるという珍体験も味わっている。

久保裕也(ヤングボーイズ)

相手は5部リーグのチームだったが、久保裕也もスイス時代にハットトリックを達成している。

2016年9月18日に行われた国内カップ・ラウンド32のバゼンハイト戦。久保はベンチからスタートだったが、3-1とリードして迎えた58分に投入されると、その6分後にゴールを決め、72分にはフリーキックを叩き込む。さらに77分にも3点目を決め、投入から19分、最初のゴールからたった13分間でハットトリックを達成した。

エースとして参加予定だったリオ五輪をクラブの都合で逃し、物議を醸した監督の交代劇でワールドカップを逃した久保。現在所属するニュルンベルクでもゴールがなく厳しい状況に置かれているが、ここから巻き返しとなるだろうか。

南野拓実(レッドブル・ザルツブルク)

今回ELでハットトリックを達成した南野拓実は、2017年2月19日に行われた国内リーグ第22節リート戦でも3得点を記録している。

南野は2014年のJ1終了後にセレッソ大阪からレッドブルへ移籍し、2015-16に主力として自身初の二桁ゴールを記録した。しかしこの2016-17は序盤にリオ五輪の出場を挟んだこともあり、ベンチを温める時期が長く続く。

この試合ではその鬱憤を晴らすかのように、1-1で迎えた23分に勝ち越しゴールを奪うと、その1分後に追加点。そして58分にも得点をマークし、自身初のハットトリックを達成している。

この2016-17はこれまでで最も出番を“与えられない”1年であったが、終わってみれば前シーズンを上回る11ゴール。これは現在までで南野の最高成績となっている。

日本代表としても森保監督の新体制発足から3試合連続ゴールを記録している南野。今月の代表戦では、その記録をさらに伸ばせるだろうか。

武藤嘉紀(マインツ)

2015年夏、レスターへ移籍した岡崎慎司の後釜として、マインツへ加入した武藤。

Jリーグ時代は主にアタッカーであり当時はストライカーに本格的に転向してからまだ日が浅かったが、2015年10月31日に行われたブンデスリーガのアウクスブルク戦でハットトリックを達成した。

チームはこの時2連敗中で、当時のマーティン・シュミット監督の進退問題に発展しかねない状況にあった。しかし武藤が先制点、追加点のゴールを決めると、逆転された後の後半アディショナルタイム、武藤は同点弾となるハットトリックを記録しチームも監督も救ったのであった。

今夏、プレミアのニューカッスルへ加入したが、マンチェスター・ユナイテッド戦でゴールを決めたのみでチームは17位に沈む。しかし、岡崎も成し遂げられなかったブンデスリーガでのハットトリックを記録した彼には、レスターで「奇跡の優勝」を経験した岡崎のような大仕事を期待したいものだ。

香川真司(マンチェスター・ユナイテッド)

ドルトムントを連覇に導き、大きな希望を持ってマンチェスター・ユナイテッドに加入した香川。

プレミアリーグの肉体的な激しさを覚悟したうえでの移籍だったが、想像以上に自身の持つ特性、スタイルと合わず、失望の日々となった。

それでも2013年3月2日に行われたプレミアリーグ第28節、ホームで行われたノリッジ・シティ戦で記録したハットトリックは、ユナイテッド時代の最高の想い出だろう。

試合後には指揮官のアレックス・ファーガソン、チームメイトだったリオ・ファーディナンドも賞賛を送り、誰もがその後の活躍を予感したのだが…この時ファーガソンが同シーズン限りで退任するとはよもや思わなかったであろう。

現在はドルトムントで出番を失っているが、今冬に何か動きはあるだろうか。

中村俊輔(セルティック)

40歳になった現在もJ1のジュビロ磐田でプレーする中村俊輔。

そんな俊輔の絶頂期といえばやはりセルティック時代であろう。2002年W杯の失意の落選からセリエAで揉まれた後、2005年に加入し、2009年までの4年間プレーした。

CLマンチェスター・ユナイテッド戦での伝説のフリーキックや、宿敵レンジャーズ戦での激烈ミドル弾など華々しい活躍により、あのヘンリク・ラーションと並ぶクラブのレジェンド的存在となっている。

そんな彼は、スコティッシュ・プレミアリーグで2度ハットトリックを経験している。2006年10月14日のダンディー・ユナイテッド戦と、2009年2月28日のセントミレン戦だ。

スコットランドは欧州のトップレベルとは言えないリーグだが、南野の前に欧州で2度ハットトリックを達成したのは俊輔が最初である。

高原直泰(フランクフルト)

続いては39歳となった現在も沖縄SVでプレーする高原直泰だ。

エコノミークラス症候群を発症して2002年W杯を逃すという苦い思いを味わった高原だが、心機一転、頭を丸めて覚醒。同年のJリーグMVP、得点王を獲得し、ドイツの名門ハンブルガーSVに電撃移籍する。

ハンブルクではバイエルン守護神カーンの無失点記録を破るヘディングゴールを決めたが、厚い層に割って入れず、失望を味わった2006年W杯後にアイントラハト・フランクフルトへ。

フランクフルトでも3トップの両サイドを任される“便利屋的な扱い”を受けていたが、待望のストライカーとして起用された2006年12月3日、アレマニア・アーヘン戦で日本人としては初となるブンデスリーガでハットトリックを達成した。

このシーズン記録した11ゴールは、中田英寿のペルージャ時代の10ゴールを上回り、ドルトムントの香川真司、マインツの岡崎慎司に破られるまで海外日本人選手の記録であった。

稲本潤一(フラム)

コンサドーレ札幌に所属する稲本潤一は10代の頃から大型ボランチとして騒がれ、2001年、元名古屋指揮官アーセン・ヴェンゲルの誘いによりアーセナルへ加入する。

しかしそれから14年後の2015年、『Dailymail』によるワースト移籍10にノミネートされるなど、アーセナルでは公式戦で1試合も出場する機会を得られなかった。

それでも大活躍を見せた2002年W杯後にフラムへレンタル移籍すると、そのすぐ後の2002年8月27日、今はなきインタートトカップ決勝2ndレグ、イタリアのボローニャ戦でハットトリックを達成したのだ。

当時の稲本は“普通”に活躍していたため、その後プレミアが日本人の鬼門となるとは誰も思わなかったのではないだろうか。なお、これが欧州主要リーグでプレーした日本人選手による、公式戦での初めてのハットトリックとなっている。

欧州の主要なリーグやクラブでハットトリックを達成した日本人選手は、稲本潤一、香川真司、中村俊輔、高原直泰、武藤嘉紀、久保裕也、南野拓実、豊川雄太の8人で今回が10度目となる。

日本人が欧州で初めてハットトリックを達成してから約16年。この8人全員がまだ“現役”というのがすごい!

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