J発足時に加盟した10クラブは“オリジナル10”と呼ばれるが、その中で最も長い歴史を持つのがサンフレッチェ広島であることをご存知であろうか。
戦前、軍都でもあった広島は、第一次世界大戦後に収容されたドイツ人捕虜との交流をきっかけにサッカーが広まり、1938年、東洋工業(現マツダ)がサンフレッチェの前身となるサッカー部を創設した。
その影響で同県はかつて「サッカー王国」と呼ばれ、数々の日本代表選手や優秀な指導者を輩出している。
ここでは、Jリーグ元年となった1993年にサンフレッチェ広島へ所属し、現在、指導者として活躍している元Jリーガーたちをご紹介しよう。
森保一
1993年の成績:35試合2得点
過去、サンフレッチェ広島に所属した選手のなかで“指導者”として出世頭となっているのは何といってもこの人だろう。
高校卒業後にマツダへ入社し、そのままJリーグ開幕を迎えた彼は、自己犠牲をいとわない守備的MFとして広島の創成期を支えた。日本代表としても35試合に出場したが、この1993年には「ドーハの悲劇」も味わっている。
「他人想い」の性格は指導者に転じてからより花開き、広島を3度のJ1王者へと導くと、現在は日本サッカー界の頂点たる日本代表と五輪代表を兼任する重責を担っている。
高木琢也
1993年の成績:29試合11得点
現役時代の公称は188cmで、圧倒的な高さを武器に久保竜彦が台頭するまで広島の初代エースと活躍。
日本代表としても一時代を牽引し、1992年アジアカップ決勝では日本を初めてアジア王者に導く歴史的なゴールを決めた。
そんな「アジアの大砲」として有名な彼だが、指導者としては非常に綿密で守備的であり、監督初年度となった2006年には“カテナチオ”と比較されるほどの戦いで横浜FCをJ1初昇格させている。
2013年からは地元のV・ファーレン長崎を率いており、ここでもクラブのJ1初昇格を成し遂げると、現在も残留させるべく奮闘中だ。
風間八宏
1993年の成績:35試合6得点
現役時代は“頭脳派”の天才MFとしてドイツや広島、日本代表としても活躍。Jリーグでは「日本人第1号」となる記念すべきゴールを決めた。
引退後は大学での指導やフジテレビの解説者を長く務めたが、2012年に川崎フロンターレの監督へと就任しJ初参戦。以来、独自の“ポゼッション理論”で日本サッカー界に新しい風を吹き込んでいる。
昨年からはJ2に降格した名古屋の指揮官に招かれ、1年でのJ1昇格に寄与。今季は序盤こそ一時は最下位に沈んだものの、猛烈な巻き返しで降格圏を脱出している。
松田浩
1993年の成績:36試合3得点
筑波大卒業後にマツダへ加入。一時は引退してコーチを務めていたものの、現役復帰してサンフレッチェ広島で2年間プレーした。
DFの選手ながらJ元年のヴェルディ川崎戦で約35メートルのロングシュートを決め、日本サッカーの歴史にその名前を刻んでいる。
指導者としてアビスパ福岡、ヴィッセル神戸をJ1昇格に導いているが、それ以上にゾーンディフェンスへの造詣の深さで知られ、鈴木康浩氏との共著「サッカー守備戦術の教科書 超ゾーンディフェンス論」を刊行している。
片野坂知宏
1993年の成績:35試合3得点
今でいうと長友佑都のように右利きながら左サイドバックで躍動した攻撃的なDF。広島では初代バクスター体制で主力を務め、1994年のステージ優勝に大きく貢献した。
2016年にJ3へ降格した大分トリニータの指揮官に就任。これが監督としての初年度だったが、1年でJ2復帰させると昨季は残留に成功、今季はJ2で旋風を巻き起こしており現在2位につけている。
古巣の広島でコーチを務めた時代にペトロヴィッチ監督(現札幌)から影響を受けたため、パスを繋いで主導権を握るスタイルを理想とする。
ヤン・ヨンソン
1993年の成績:6試合1得点
広島にはバクスター監督のコーチとして招かれたが、初期のJリーグは選手層が薄いこともあり、現役に登録され6試合に出場した。
バクスター監督が彼を重用したことは周囲の反発を招くこととなり、選手としては解雇されたものの、その後、当時JFLのヴィッセル神戸でも現役復帰している。
指導者としては母国スウェーデンで結果を残し、2011年からノルウェーの最強クラブとして知られるローゼンボリの監督を2年間務めた。
2017年7月、成績不振で森保氏を解任した広島に復帰し残留を成し遂げると、今季より清水エスパルスの監督に。先月は首位争いをする古巣の広島を撃破した。
上野展裕
1993年の成績:0試合0得点
早稲田大、全日空を経てマツダ入り。バクスター監督から高い評価を受けた守備的な選手だったが、Jリーグでは出場機会がなく、出場はリーグカップの8試合のみ。
ただ指導者としては近年になって評価を高めており、2014年、JFLに参入したレノファ山口の監督に就任すると、1年でチームをJ3昇格へと導き、翌年にはJ3優勝・J2昇格を成し遂げている。
今年4月からは成績不振により契約を解除された吉田達磨氏の後任として、J2・ヴァンフォーレ甲府を率いている。
森山佳郎
1993年の成績:29試合2得点
学生時代は無名の存在だったが、創成期の広島で右サイドバックとして活躍。日本代表としても7試合に出場した。
引退後は2002年8月から広島ユースの監督に。その陽気で情熱的な性格とかつて教員を目指した指導力でチームに数々の栄冠をもたらした。
広島は2012年以降J1を3度制覇しているが、彼が育てた選手たちの功績も大きい。現在は浦和でプレーする槙野智章、柏木陽介、森脇良太の“お調子者トリオ”も森山氏から受けた影響は計り知れない。
2015年からはU-17日本代表を率いており、先月にはU-16代表をアジアの頂点へと導いている。愛称はゴリさん。