【平成の長崎】炭鉱が消えて 平成14(2002)年

 寒い冬が過ぎ、池島(長崎県西彼外海町)に春が来た。炭鉱が閉山して訪れた初めての春は、ヤマとともに暮らしてきた人々が、新しい生活を求めて島を去る別れの季節でもある。出る人、残る人たちは何を思うのか。そして、島の未来は―。今を追う。

 親子二代の元炭鉱マン、深江広幸さん(41)は引っ越し前夜、住み慣れた3Kの炭鉱アパートの鉄扉に「さようなら池島 ありがとう池島の人たち 池島は宝の島だった」とフェルトペンで太く書き付けた。

 池島で過ごした30年。妻真奈美さん(40)と出会い、三人の子どもに恵まれた。仕事は花形の採炭。最奥部でドラムカッターを回し、石炭を削り取った。「男と男がぶつかり合う」骨っぽい職場が、たまらなく好きだった。

 引っ越しはまだ薄暗い午前7時前に始まった。同僚や真奈美さんの主婦仲間ら約20人が次々と手伝いに現れ、30分もするとほとんどの荷物をトラックに積み終えた。フェリーの時間まで、がらんとした居間で深江さんを囲み、缶ビールで即席の送別会が始まった。

 引っ越し先は長崎市若竹町の市営住宅。「いつでも遊びに来いよ」と言うと、同僚が「人がまた減って島が浮いてしまうばい」とおどける。誰もが笑顔だ。時間になると、深江さんは「おかげで飯ば食えた」と丁寧にこん包した13キロの石炭塊を抱え、そっと車へ積み込んだ。

 港で、主婦たちが真っ赤な目の真奈美さんに花束を手渡した。20年来の付き合いの下山文子さん(43)は「何でも話せて、何でも頼める。池島はそんなところ」とハンカチを目に押し当てた。

 「ボーッ」。別れの合図の短い汽笛が鳴った。デッキに深江さんと真奈美さん、末娘の優彩(ゆあ)さん(12)が並び、岸壁の人たちに手を振る。真奈美さんは花束に顔を埋めてむせび泣く。

 「優彩、頑張れー」。みんな幼なじみの同級生たちが声をそろえて叫ぶと、優彩さんがこらえきれずに泣きだした。深江さんは思わず絶叫した。「長崎で頑張ります。みなさんも頑張って。池島万歳!」

 池島が小さくなり、かすんでいく。だが、深江さんの男泣きは止まらない。「池島は宝の島。炭を掘り、ぜいたくもできた。でも、一番の宝はヤマの仲間やった…」

 深江さん一家が池島を去った20日、74人が転出し、炭鉱全盛期の1970年に8千人を数えた島の人口は1524人になった。「4月には1100人ぐらいか」。町役場池島支所で、宮本学支所長は人口推移表をじっと見詰めた。
(平成14年3月24日付長崎新聞より)
 ◇   ◇   ◇
【平成の長崎】は長崎県内の平成30年間を写真で振り返る特別企画です。

デッキに並び、見送りの人に手を振る深江さん一家=長崎県西彼外海町池島、池島港

© 株式会社長崎新聞社