憎悪、嫉妬、愛情…1人の女を巡って、6人の男女の思惑が交錯する、運命の夜

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深窓の令嬢が、超リッチな男と結婚。

それは社会の上澄みと呼ばれる彼らの、ありふれた結婚物語。

有馬紅子(ありま・べにこ)もそんな物語の一人として17年間幸せに暮らしてきた。

しかし突然、夫・貴秋が若い女と駆け落ち同然で家を出てしまい、紅子のプライドは消えかける。

しかし就職に成功し、新たな一歩を踏み出した紅子はある日、久しぶりに月城家に呼ばれることになる。そこで手紙の謎が明かされ、夫の貴秋が、その送り主が涼子であることに気がつく。貴秋は、紅子に忠告しようと連絡をとったが時すでに遅く、紅子は涼子の家へ入ってしまった

「社会経験、ほぼゼロ」。有閑マダムのレールから強制的に外された女・有馬紅子のどん底からの這い上がり人生に迫る。

坂巻透が知る、女の真実「想いを断ち切ることに失敗した女は恐ろしい」

「坂巻さん、紅子さんがどうかしたんですか?」

電話を切った僕に、分かりやすく心配そうな顔をした加藤さんが言った。

「連絡が取れないらしくて。田所さんと一緒にいたところまでは、僕も会社前で見たんだけど」

僕も今聞いたばかりの話を復唱するように、加藤さんに説明した。副社長が、もし有馬さんから連絡があったらすぐに自分に知らせるように、と言って電話を切ったことも。

「それ、何か変じゃないですか?まだ9時半なのに。2時間半連絡が取れないだけで、家の人が大騒ぎして探すなんて大げさすぎません?携帯の電源が落ちちゃったのかもとか、普通は考えそうですけどね」

子供が行方不明になったわけじゃないんだから…と言いながら、加藤さんは何かを考え込むように黙った。

加藤さんの言いたいことも分かる。ただ副社長の口調は、今すぐ見つけたいという緊急性のあるものだった。それに。

「なんで、田所さんのことまで探してるんだろう」

僕は思わず口に出してしまっていたようで、加藤さんが、それ私も思いました、と反応した時、僕の電話が鳴った。

画面に出た文字は『小河利佳子』。

彼女にも連絡が行ったのだろうと予測しながら電話に出た僕に、彼女は珍しく焦った口調で問い詰めてきた。

紅子の危険を誰より察知した小河が、坂巻に意外な指示を!

「透が、有馬さんと田所さんが一緒の所を見たのが、最後の目撃情報っぽいけど…」

挨拶もせずにそう言ってきた利佳子に、別に普通だったと思うけど、と答えると、もっとちゃんと思い出して細かく教えて、と叱られた。

目が合ったと思ったけど、田所さんに逸らされたとか、タクシーに乗って移動した方向とか、他愛も無い情報を伝えた。

そんな会話をしているうちに、昼間は誰か男性と約束をしていた様子だったのに、とタクシーで耳にした有馬さんの声を思い出した。

「…確か、たかあきさん、とか言ってたな」

「それ、紅子さんの旦那の名前。あ、元旦那かな」

僕の声に反応した加藤さんがそう声を出し、それが電話の向こうの利佳子にも聞こえたらしい。加藤さんも一緒なら聞きたいことがあるからスピーカーにして、と言われて、妙な三者通話が始まった。

「加藤さん、小河です」

「お疲れ様です、加藤です」

「加藤さん、あなた有馬さんと仲良いですよね?何か変わったことはなかったですか?有馬さんから何か聞いたとか」

「変わったこと…多分、田所さんが店辞めるちょっと前ですけど、廊下で紅子さんとバトってる田所さんを同期の子が見たって言ってました。

その後、紅子さんと飲んだ時に、揉めてたみたいだけど大丈夫でしたかって聞いたら、私が田所さんを傷つけちゃった、申し訳ないって言ってましたけど…あ、そういえば」

「そういえば?」

間髪入れず続いていく二人の会話。三者通話というより、僕はただその会話を聞いている傍観者のようになってしまっている。

「めちゃくちゃ、会うんですよ。紅子さんと一緒にいると必ずと言っていいほど、田所さんに。

飲みに行って帰ろうと思って店を出たらばったりとか、ランチを食べてる店に入ってきたりとか。有馬さんは全く気にしてなかったみたいですけど、言われてみればちょっと気持ち悪いですね」

「透、今すぐ会社に戻って、田所さんの住所を調べてくれない?私も向かうわ。会社で合流しましょう。ちょっと本当に…有馬さんが危ないかも」

「…透?」

僕と利佳子の関係を知らない加藤さんがそう呟き、僕は誤魔化すつもりで大きな声を出す。

「危ないとか、大げさじゃない?田所さんが有馬さんに危害を加えるとでも言いたいの?それに住所って…まさか監禁でもしてるとでも?」

冗談のつもりで少し茶化した僕の口調に、利佳子はシリアスな声で答えた。

「実は私ね、田所さんに脅されて…駆け引きを持ちかけられたことがあるの。それに以前から田所さんの、有馬さんへの執着は異常だったことも知ってる。理由が何なのかは分からないけど。彼女には、何か…得体の知れない怖さがある。

それに、家族がこんなに焦って探してるということは、きっと彼らには、何かが分かってるのよ。有馬さんが危険だと思う何かがね。でなきゃこんな時間に、会社のトップが動くわけもない」

理解が追いつかない僕を置き去りにしたまま、加藤さんが「わかりました!すぐ、会社に戻ります」と即答した。

「透、あなたには分からないかもしれないけど…報われない想いを断ち切ることに失敗した女は恐ろしいわ。情熱は執着に変わり、人も自分も狂わせる。だから…想いはちゃんと…成仏させないとだめなのね」

利佳子はそう言うと、じゃあ後でね、と言って電話を切った。

その頃涼子は…ついに本性をむき出しにする!!

「何ぼーっとしてんですか、坂巻さん。本社に戻りますよ。会社戻ったらすぐに調べられますよね、田所さんの住所。坂巻さんなら」

利佳子の言葉の余韻に引きずられそうになっていた僕の背中を、バンバン叩きながら加藤さんが言った。

「なんとかしてみるけど…個人情報だからな」

そう答えた僕を、加藤さんが睨む。

「だからな、じゃないです!絶対なんとかするの。ほら、急ぎますよ」

強く荒々しい加藤さんの口調と勢いに押されるように、僕は急いで会計をすませると二人で店を出た。

「…紅子さんに何かしてたら、アタシがぶっ潰してやる。元ギャルなめんなよ」

店から会社まで、5分足らず。その道を急ぎながらそう言った、加藤さんの言葉とその表情に僕はギョッとしたが、加藤さんは僕など視界にも入っていないようだった。

「…涼子さんは、召し上がらないの?」

二人で食べるには多すぎるほどの料理がテーブルの上に並んでいるのに、先ほどから箸を動かしているのは私だけのように思えた。

「私は、あまり食欲がなくて。それより、紅子さまのお好きなものを揃えたつもりですけど、お気に召していただけました?味は…大丈夫でしょうか?」

「ええ、とても美味しいわ。お気遣いありがとう」

私の言葉に、涼子さんは笑顔で、良かったと呟くと、私のグラスに2杯目のシャンパーニュを注いでくれた。

私が、和食にもシャンパーニュを合わせることが多いことも、涼子さんはどこかで知っていてくださったのだろうか。ありがたいけれど、時間が気になってしまい、私は壁にかかっていた時計をチラリと見た。

21時半を過ぎたところだった。

「涼子さん、そろそろあなたのお話を聞かなくちゃ。私が涼子さんの助けになれるのかはわからないけれど、できることは精一杯させて頂くわ」

あまり遅くまでお邪魔するわけにも行かないから、と付け加えながら、私は箸を置いた。

「泊まってくださっても構わないのに…」

涼子さんの言葉に、そういうわけにはいかないわ、と私が笑うと、涼子さんは悲しそうな顔で言った。

「明日も大切な仕事が、とおっしゃりたいのですか?」

「そういうわけではないわ。ただ…」

ただ、遅くまでお邪魔するのは失礼だから、と繰り返そうとした私の言葉を遮り、涼子さんは私の対面の席を立ち、こちらへ歩きながら言った。

「…わかっています。紅子さまはいつも責任を果たされ、人として正しいことを選ばれる。そして誰に対してもお優しく、弱っている人を放ってはおけない。

だから今日も彼より…私のことを選んでくださったのでしょう?」

「…彼、とは…」

彼とは、貴秋さんのことだろうか。でもなぜ涼子さんが、その事を知っているのだろう…。その疑問を考え始めた時、私の肩に涼子さんの手が置かれ、ハッとする。

―冷たい。

そう感じながら、私の横に立った涼子さんを見上げると、涼子さんは微笑んでため息をついた。そして言った。

「紅子さまは、鈍すぎます。私、もう疲れました。誰もあなたの特別にはなれないのですから。誰にも平等で公明正大な貴女は、それが誰かを傷つけていることを知らない」

紅子が初めて感じた怒りと恐れ…涼子の思惑に飲み込まれていく!?

微笑んだ顔のまま、ゆっくりと、ゆっくりと、口に出すと、涼子さんは私の隣の椅子に、私の方を見て座った。足が触れ合う距離で見つめられながら、涼子さんは私の目から視線を外さぬまま続けた。

「紅子さまは、恋に焦がれたことなど、ないですよね?誰か一人を、どうしても、どうしても、欲しいと思ったことなどない。だから17年間も一緒に暮らした貴秋さんのことも、あっさりと手放せた」

そう考えると彼も可愛そうな人です、と続けた涼子さんの言葉が、私に刺さる。

「あっさりなど、手放してはいません。縋ろうとは思わなかっただけです」

胸の痛みと共に不快な気持ちがこみ上げてきたけれど、なんとか表情を変えずにそう言い切った。

そんな私の言葉に、涼子さんの笑顔が皮肉っぽく歪んだ。その表情に、なぜか私の不快な気持ちは大きくなった。その感情の名前がわからないまま、喉元に熱がこみ上げてくる。

「あら…もしかして、私ごときに今、苛立ってらっしゃいます?紅子さま、眉間にシワが。嬉しいわ。私の言葉が紅子さまの感情を…苛立たせてるなんて」

嬉しそうな涼子さんの表情に、なおさら胸のざわつきはひどくなった気がした。

―私は…涼子さんに苛立っているの?

自分の心の動きに驚きながら、そもそも、なぜこんな話になっているのだろう、と問おうとした時、また先に涼子さんの口が動いた。

「縋らなかったのは…紅子のプライドにかけて、ですか?

“紅子のプライドにかけて”。忘れられない言葉です。あの日もそうおっしゃった。優しい笑顔で…」

―あの日、とは…

私の表情を読み取ったかのように、涼子さんが、いいんです覚えていらっしゃらなくても、と言った。

「今日、これから紅子さまには、全てを知ってもらいますから。私の人生をかけたあなたへの…」

うっとりと陶酔したような表情に見据えられ、手足が冷えていくのを感じてしまう。

―今度は…恐怖?

自分の体を襲う寒気に抗いたくて、私は声を絞り出した。

「……私への?」

すると涼子さんが、今度は声をあげて笑った。

「声が…震えていらっしゃる。まさか私のことが怖いのですか?ああ、今日は本当に喜ばしい日。紅子さまが…今、私に苛立ち、私を恐れていらっしゃる。

清く正しい紅子さまが…こんなに負の感情に満たされているなんて。きっと初めての感覚でしょう?それが、私のせいだなんて。紅子さまの初めての感覚を頂けるなんて。ゾクゾクするほど光栄です」

興奮を抑えられぬような仕草で、涼子さんの手が私の頬に触れた。撫でるような仕草とその手の冷たさに、条件反射のように、背筋に冷たいものが走る。

「私が怖いですか?本当に、怖いなら…ここから逃げ出して頂いてもよろしいのですよ?」

涼子に対する紅子の驚きの答え。そして男二人が出会う!!

温度のない微笑みと赤い唇。獲物を見つけた蛇のような…。背中に走る悪寒は続いていたけれど、その挑発するような言葉が、私を正気に戻した。

「…私への、何ですか、と質問しているのです。私は、どんなことがあってもどんなことからも、逃げたり致しません。

それに…私は、あなたの悩みを聞くためにここに来ました。助けてほしいと私に言ったのは、涼子さんあなたです」

ふと、幼かった日の、人見知りでシャイな涼子さんを思い出した。いつも迷子のような困った顔をして、私を慕ってくれていた彼女を。

―電話での…弱々しい声は…SOSは、きっと嘘じゃない。

そう信じたい。だから私は、逃げない。その意思と覚悟で、まっすぐに涼子さんを見つめた。

するとふっと笑った涼子さんが、さすが紅子さま、と言いながら、満足そうに頷いたあと言った。

「では場所を移しましょう。どうぞ、こちらへ」

そういうと、涼子さんは立ち上がり、ついて来てください、と言った。そして部屋の奥に向かって、歩き出した。

坂巻透と月城貴秋の遭遇

「…出ないね」

僕の言葉に、利佳子と加藤さんが無言で頷く。

僕たち3人は、赤坂のタワーマンションのエントランス前に立ち尽くしていた。

インターフォンで田所さんの部屋の番号を先ほどから数回押しているが、応答がない。

「…どうします?せっかく住所まではつきとめたのに…。でもまあ、本当にやばいことしてたら、中に居ても出るわけないか…」

加藤さんの弱気な声に、何か答えたいのだが、僕にも利佳子にも策はなかった。

実は、田所さんの住所を手に入れたのは加藤さんだった。

会社に戻ってまずは、僕が広報部の共有データから田所さんの住所を探ってみけれど割り出すことができず、田所さんと同じ部だった数人に連絡をとってみたが、知っている人はいなかったのだ。

「なんで人事部長から聞き出せたの?そもそも何で彼が田所さんの住所を…」

ここへ来るタクシーの中でそう聞いた僕に、加藤さんは誇らしげに言った。

「人事部長が田所さんに気があって、何回か食事に行ってるって目撃情報があったなって思い出したんです。

あの人事部長、美人とみれば誘うキモい人で有名でしょ?私の同期も仕事の話だからって言われて断れなくて、一回だけ渋々ご飯に行ったらしいんですよ。

そしたら家まで送るってしつこくて、断れなくて送ってもらった時に、何でか部屋番号までバレてたらしくて。多分、会社で住所録とか見てたんでしょうね。

マジでキモいんですけど、その話思い出して。それ、多分田所さんにもやってるなって思って。

人事部長って既婚者じゃないですか。だから、その子からちょっと脅しっぽく電話してもらったんですよ。そしたらあっさり吐いたみたいで。田所さんの住所も、部屋番号も」

その勢いのまま、到着したまでは良かったが、管理人室のカーテンも閉まっていた。誰か居住者の後に続いて一緒に入るしかないか…などと話していた時、車のライトが近づいてきた。

―高級車だな。

眩しさに目を細めながら見ていると、黒塗りのメルセデスがマンションの前で停まり、運転手が後部座席のドアを開けると、姿勢の良い紳士が降りてきた。

助手席から降りてきた初老の男性が、その紳士を誘導しながらこう言った。

「たかあきさま、こちらです」

―たかあきさま?もしかして、この人が…?

そう呼ばれた男性は、ちらりとこちらを見たあと、急ぎ足で田所さんのマンションに入っていった。

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涼子の部屋に到達するのは…誰?そしてその時紅子の運命は?