何者かになろうとあがいている人、不安を感じている人にこそ見てほしい 映画「止められるか、俺たちを」 井浦新、大西信満、井上淳一インタビュー

©株式会社琉球新報社

「水のないプール」「キャタピラー」など、社会派映画を多数手掛け、2012年に亡くなった若松孝二監督。そんな若松監督と若松プロの若き日々を描いた映画「止められるか、俺たちを」の上映が3日から那覇市の桜坂劇場で始まった。メガホンを取った白石和彌監督をはじめ、若松監督に師事した製作陣、俳優陣などが映画づくりの中心となる若松監督への愛があふれる作品。若松監督役の井浦新さん、若松プロで監督デビューした故大和屋竺(やまとや・あつし)役の大西信満さん、脚本の井上淳一さんが、作品や若松監督への思い、沖縄に特別な思いを抱いていた若松監督に関するロングインタビューに応じてくれた。
(聞き手・田吹遥子)

井浦新(いうら・あらた)
俳優。若松作品では「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」(08)、「キャタピラー」(10)「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」(12)「千年の愉楽」(13)などに出演。「11・25自決の日~」では日本映画プロフェッショナル大賞主演男優賞を受賞。「返還交渉人 いつか、沖縄を取り戻す」(18/柳川強監督)で千葉一夫役を主演。現在桜坂劇場で上映中の「岡本太郎の沖縄」(18/葛山喜久監督)ではナレーションを務めている。
大西信満(おおにし・しま)
俳優。若松作品では「実録・連合赤軍 あさま山荘への道のり」(08)「キャタピラー」(10)「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」(12)「千年の愉楽」(13)などに出演。「キャタピラー」では、寺島しのぶと主演を担い、ベルリン国際映画祭銀熊賞(主演女優賞)など多数受賞。「さよなら渓谷」(13/大森立嗣監督)でモスクワ国際映画祭審査員特別賞を受賞。
井上淳一(いのうえ・じゅんいち)
脚本家兼映画監督。1985年、大学入学と同時に若松孝二監督に師事し、若松プロ作品に助監督として参加した。90年に監督デビューするも、脚本家に転向。「アジアの純真」(11)「あいときぼうのまち」(14)などの脚本を書く。2013年に「戦争と一人の女」で監督再デビュー。2016年には、福島で苦悩しながら農業を続ける男性を追った「大地を受け継ぐ」でドキュメンタリーの監督を務めた。

■あらすじ
1969年、「何者かになること」を夢見て、吉積めぐみ(門脇麦)は21歳で若松プロの門をたたいた。当時は珍しい女性の助監督として、日本の映画業界で「奇才」と呼ばれた若松孝二監督や若松プロのメンバーと共に、映画に青春を捧げる日々を描く。
公式サイト http://www.tomeore.com/
 
俳優・井浦新を育てた「おやじ」
―作品が完成して全国各地の映画館をまわった感触はいかがですか。
井浦 全国に上映が広がっていくことが本当に幸せです。6年前に監督が旅立たれて時間が止まっていた部分もあったんです。今回舞台挨拶で全国をまわったときに、お客さんからも「私たちも時間が止まっていた」という声や、若松監督を知らなくても「自分自身突き動かされるものがあった」との声を聞きました。舞台挨拶に行けば行くほど“その地の(で愛された)若松孝二”に出会って胸がいっぱいです。
大西 初めて若松監督と沖縄に来たのは、「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」の上映の時かな。若松監督は全国各地、自らの足でまわってお客さまにあいさつして、作品を自分の手で届けるというやり方をずっとやってきたので、監督が亡くなってからも、若松プロ製作の作品を持って沖縄まで来れたことはとてもうれしいです。
井上 若松プロから離れて脚本家に転向して25年たって今、監督として地方回ると気づくことが多いんです。地方の映画館であいさつしようなんて誰も思っていないときに、若松さんはちゃんと地方の舞台挨拶に行って。きちっとパンフレットを売って、取り分を劇場に残す。だからいまだに地方に行ったら「6年前に撮った若松さんの写真です」と見せられたりする。映画をつくることで少しは恩返しができていたかなと思ったけど、まだ監督の恩を受けていたと思っています。
―若松監督との出会いは。どんな存在でしたか。
井浦 ちょうど1960年代、70年代のカルチャーに興味があった時期に連合赤軍のことを書いた本を読んだんです。その本で一人だけ連合赤軍のことを肯定していた人がいて、それが若松監督で。その若松監督が連合赤軍の映画を撮るとちらしで知ったとき、間違いなく正面から撮っていくんだろうと思って、自分が何を学べるか体で感じたくて飛び込んでいきました。そこから6年前に監督が事故に遭う数分前まで一緒にいて、最後の背中も目に焼き付いています。映画づくりと生きていくことを教えてくれた人でもあります。初めての師匠で,俳優・井浦新を育てたおやじという思いが強くあります。
大西 最初にこの世界に入った時に一番身近にいた原田芳雄さんがタッグを組んで若松監督の作品で主演をしていたので、憧れがありました。晩年の若松監督の5作品に出ましたが、回数を重ねても畏れみたいなものを最後の最後まで持っていて、今も変わらないですね。
井上 僕は高1の終わりに若松監督の「水のないプール」という映画に影響を受けて、若松プロで助監督になりたいと思っていたんです。大学浪人時代に、予備校近くのシネマスコーレの舞台あいさつで突然若松監督が入って来て。震えながら「弟子にしてください」みたいな。翌年若松プロに入り、19歳から24歳まで助監督をしました。現場では仕事覚えないからこの映画のめぐみ以上の怒鳴られ方をして。でも普通の時は優しくて。「師弟以上親子未満」の関係です。
師匠を描き、演じるということ
―井浦さんは、師匠役のオファーがあったときはどう思いましたか。どう演じましたか。
井浦 オファーをもらったときは「あり得ない」と思いましたね。下手すりゃ恩師の顔に泥を塗ることになるとか考えたんですけれども、僕の中で断るという答えはなくて。それは若松プロからのオフィシャルのオファーだったのもあります。憧れ続けた恩師だから芝居できる存在ではないわけですよ。でも三島由紀夫さんを演じた時に若松監督から教わったように、できないと思っていることに向かっていくときの心で準備を重ねていきました。
大西 監督の声のトーンも、表情も、しわの入り方も覚えている生々しい中でその人物をやることは桁違いのプレッシャーですよね。三島由紀夫さんをやれと言われたときも新さん相当苦しんでいたけど、あれを超えられたからこの作品が成立したんだなと思いました。新さんも白石監督も井上さんもすごい。
井浦 後で自分で見るとすっごい大きくてたっぷりした芝居してるなと思うんですけど、その時は芝居している感覚はないんです。まねようとしている意識もなくて、自分の中にいる、自分だけが抱きしめるようにして抱え込んでいた若松監督を自分の体を使って表していく作業だったんだと思います。ほかでは経験できないことでした。
―大西さんは、若松プロで監督デビューした大和屋さんの役でした。
大西 大和屋さんは早く亡くなってしまったので、映画の製作チームの中で面識がある人がほぼいない。でも荒戸源次郎監督や原田芳雄さんから話に聞いていた方だったので、不思議な巡り合わせを感じました。何か(若松プロを)見守る、ちゃんと行く末を見ている立ち位置になればいいなと思っていますね。
―映画の中では「視界に入るな」とか「刃を向けろ」とか若松監督の印象的な台詞があります。実際に言っていた言葉ですか?
井上 (若松監督のせりふは)100%僕が言われたことですね(笑)。僕なんてどこが1番視界に入らないか場所探したくらいだったんで。(登場人物が)実在するからうそだと思われないせりふを書くと同時に、若松監督を知らない人たちも分かる物語になるように書きました。
―若い人に向けたメッセージを感じる映画でもありました。めぐみさんに共感する人も多いのでは。
井上 若松さんを知らない世代で、今何者かになろうとあがいていたり、不安に思っていたりする人に届く普遍の物語になっています。これは白石監督がめぐみさんの視点でいくと言った時点でそうなったという気がします。
井浦 この映画は若松監督をよく知る者たちが集まっていますけれども、若松監督を知らない若い役者たちが白石監督の後ろに若松監督を感じながら、若松監督を少しでも感じたいという思いとあの時代への憧れを作品を通して表そうともがいている姿が美しくて大きな見所です。
沖縄、日本を覆う「閉塞感」の中で
―若松監督は、反戦映画「キャタピラー」を沖縄で先行上映するなど、沖縄に特別な思いがありました。若松監督の沖縄への向き合い方から影響を受けたことはありますか。
井上 影響されたというか若松さんが「千年の愉楽」の後に731部隊、原発、沖縄をやりたいと具体的に言っていたんですができなかった。僕は全然若松さんの足下にも及ばないけど、若松さんがやり残したことは僕の中でも重なるテーマです。原発ドキュメンタリーは、「大地を受け継ぐ」など2本撮りました。沖縄を題材にした作品も本当にやろうと思っていますね。
井浦 影響というか、若松監督から学んだのは「権力側からものを見てはいけない」というまなざしですよね。若松監督ならこう見るだろうなというものは持っています。役者である僕らは監督とは違って、沖縄を題材にしたものをより多くの人に見てもらうための入り口に立つことが務めなんですよね。なのでまなざしを元に関わるなら、沖縄をテーマにした作品を選択する際に大事にしていて。ただ、僕が「返還交渉人」で演じた千葉一夫さんは体制側の人だけど、沖縄に寄り添って干されていく。それは若松監督がやらなかった、気づかなかった視点かもしれない。今を生きる僕らは、若松監督のまなざしを基本にして広げていくことが大事なんじゃないかなと思います。
大西 若松監督は怒りや理不尽さを大切にしていますよね。沖縄にはそういう怒りがたくさん眠っていて、監督自身が沖縄に対する思いが強かったと思いますね。監督がいたら今の沖縄の状況にどう反応したのかと思う。
―沖縄の人に一言お願いします。
井浦 若松監督の映画を桜坂劇場で見ている方ってたくさんいらっしゃると思うんですよね。監督の作品はもう見られないと思っている方たちに必ず見てほしいです。若松監督を知らない若い人にとっては、映画の舞台となった1960~70年代は知らない日本という感じかもしれないけど、つながってくるものはあると思います。本物の青春映画です!
井上 1960年代は熱くて自由だと思っていたけど、この映画に出てくる人に聞くと「閉塞感があった」と言う人もいました。沖縄やこの国を覆う閉塞感の中でどうもがくかという話にもなっていると思います。そこから少しでも自分の何かを勝ち取ろうという思いが伝わるといいなと思います。
大西 描かれている人を知っているかどうかを抜きに、来てもらえれば伝わる強さがある作品です。まずは見に来てほしいということ1点ですね。