【聖域の素顔-阿蘇神社の被災修復(下)】職人が残した墨書 伝わる江戸期の息遣い

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(番付)楼門の部材から見つかった墨書。左側に番付、右には和歌が記されている(文建協提供)
(署名)部材が接合していたくぼみに記された大工の署名。「宇土郡 松山手永大見 長井藤七」と書かれている(文建協提供)
(似顔絵)解体された楼門の部材に記されていた似顔絵。同様の絵が複数見つかっているという(文建協提供)

 「『い弐拾九』というのはこの床材の『番付』。空気に触れていなかった部材との接合部だけ、色が新しいですね」。所々かすれた墨書[ぼくしょ]に視線を向けながら、文化財建造物保存技術協会(文建協)の技術職員、石田陽是[あきよし]さん(28)が説明する。

 大工が造営や修理の際に部材に記す墨書。阿蘇神社(阿蘇市)の修復では、国指定重要文化財6棟から新たに多数が見つかった。大半は組み立てるときの位置を示す番付。部材の保管に不可欠な作業だ。

 今回の解体は、柱の並びを基準にした座標を使って部材の位置を示しながら進めた。造営時の番付の“法則”も分析中で、石田さんは「江戸期後半の建築技術を知る手掛かりになる」と強調する。

 解体しないと見えない部材の接合部からは大工の署名も多く見つかった。藤田社寺建設(福井県永平寺町)の與那原[よなはら]幸信棟梁[とうりょう](52)は「今まで見てきた現場と比べても多い。自分が造営に関わったことを残したいという思いの強さの表れでしょう」。

 少なくとも23人の大工の名前や出身地を特定。似顔絵や百人一首の和歌が添えられたものもあり、「200年前の職人の粋な人間味を身近に感じる瞬間です」。

 記録を記したのは大工だけではない。終戦直後まで誰でも立ち入ることができたという楼門2階の内壁には、明治や大正時代の参拝客の落書きも多数見つかった。

 「『愛媛縣下讃岐國高松香川郡一宮中村袖蔵 二月十四日』。香川郡が愛媛県だったのは1878年から88年ごろ。阿蘇に鉄道が開通する以前に訪れていたようですね」と石田さん。現在はご法度の行為も、貴重な史料と言えるという。

 今回の修復工事では、墨書ではなく「平成28年度修補」の焼き印を残す。設計図のない6棟の構造を詳細に図面に残し、後世に伝え残す使命も負う。

 神聖な祭事の場である神社の建造物は、内部構造まで調べる調査の機会が限られてきた。2007年の国重文指定を後押ししたのも、台風の復旧工事に伴い神域内部まで調査が可能になったことが大きく貢献したという。

 「古来、噴火や自然災害は、人々が神様の存在を意識する契機になってきた」と権禰宜[ごんねぎ]の池浦秀隆さん(47)。「神社を知ることは、郷土への愛着を育むことにもつながる。先人の積み重ねの上にある阿蘇神社の歴史や意義を、復旧事業を通じて深く知ってもらいたい」と力を込める。(中尾有希)

(2018年11月11日付 熊本日日新聞朝刊掲載)