イモトアヤコ、三浦雄一郎…「山の夢」をかなえる国際山岳医

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「やった……。なんとか……ヒマラヤ、自分の足で立ちましたぁ」息も絶え絶えになったイモトアヤコは、その瞬間の表情を視聴者に届けるべく、顔全体を覆っていた酸素マスクをかなぐり捨てた――。

現在も高視聴率を誇る人気番組『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)が、’13年秋に敢行したヒマラヤ山脈のマナスル登山(登頂まで約1カ月間。標高8,000メートル)のクライマックスシーンである。折しも登山ブームが盛り上がっていた時期。『イッテQ!』のすさまじい挑戦に、多くの人が山の驚異と魅力にふれた。

「イモトさんは、ほんとうによくがんばったと思います。挑戦を前に、日本でしっかりトレーニングを積んできていたんですね」

5年前の当時を懐かしそうに振り返るのは、チームドクターとして同行した大城和恵さん(51)だ。

「私は、歩くスピードや水分調整、酸素ボンベの残量チェックなどでケアをしました。登頂を成し遂げたときはうれしかったですね」

大城さんは、世界中の名峰を登ってきた国際山岳医である。札幌市にある勤務先の北海道大野記念病院を訪ねるまで、記者は“日に焼けた山男のような女性”を勝手にイメージしていたが、まるで違った。紺色の医療用スクラブに白衣を羽織って現れた大城さんは、身長153センチほど。人なつこい笑顔を絶やさない。

「撮影には白衣を着ていたほうが、それらしくていいですか」と気遣ってくれ、すぐに周りをほんわかと和ませる。毎年夏の3週間は、富士山の8合目にある「富士山衛生センター」に勤務しているという。

「登山初心者がほとんどの富士山では、1日に20人くらいが具合を悪くして訪ねてきます。白衣姿で外に出て、目の前を通る登山家たちに高山病や脱水症、低体温症の怖さを伝えることも。山岳医療は、予防してナンボですから(笑)」

大城さんが登山そのものを意識したのは、31歳のとき。選んだのはアフリカの最高峰、キリマンジャロ(標高5,895メートル)だった。高山病の危険もあるこの登山の経験が、その後の大城さんの生き方を決めた。

「登頂まで7日がかりでしたが、4,700メートルあたりで息が苦しくなって、トイレにもゆっくりしか行けないんです。自分の脈を取ろうとしても、なかなか見つからない。高所で起きる自分の体の変化が興味深かったですね。とくに、酸素が薄いとどれだけつらいかを痛感しました」

当時、日本大学医学部附属板橋病院・第一内科に所属していた大城さんは、慢性呼吸不全の患者を診ることがあった。

「肺の悪かったあの患者さんは、いつもこんなしんどい生活を送っているのか、と理解できた気がしました。患者さんのなかには診察時に着替えがゆっくりとしかできない人もいる。医師によっては『遅い』とペン先をコツコツさせていたけど、あのイライラは患者さんの身になっていないよな、とか」

キリマンジャロに登頂したときの晴れやかな充実感は忘れられない。そしてこみ上げてきた感動も。

「それは、5,000メートルという標高でも人間は生きていけるんだということ。厳しい環境の変化にも、体は順応していくんですね。人間の能力はスゴいなと。これは新鮮な発見でした」

大城さんは、目を輝かせながら語る。生きることそのものを、実感しているようだった。キリマンジャロ登山後、まとまった休みがあれば、海外の山にも出かけるようになった。

35歳のとき、日大板橋病院を辞め、現在の勤務先である北海道大野記念病院(当時の名称は、心臓血管センター北海道大野病院)に就職。

山岳医療にのめり込むきっかけは、ネパールの標高4,500メートルをトレッキングしていたときのことだ。意識が朦朧としていた日本人と出会い、診察すると高山病と脱水症にかかっていた。

「私の持っていた水を飲ませ、努力呼吸(意識的な深い呼吸)をさせることで血中の酸素レベルは回復しました。無事に下山したと知ったときは安心しましたが、でも私は、自分の対応に自信が持てなかったんです。それが本当に嫌で、山岳医療について本格的に勉強しました」

41歳のときのことだ。大城さんは、山岳医療について系統立てて学べる国際認定山岳医の資格講座を知り、迷わず申し込む。しかし、ハードルは高かった。

なにしろ当時の日本に講座はなく、英語でのプログラムが受けられるのはイギリスだけ。季節ごとに1年をかけて4回、各1週間行われ、山岳医療についての講義だけでなく、高い登山技術が求められる実習もあった。

合間に国内外でトレーニングするため、なんと大城さんは大野記念病院を退職してしまった。ほかの病院で泊まり込みのアルバイトをしながら、受講料と旅費を捻出。

「お金がなくて、電気代が残るかどうか、という1年でした」

かくして’10年、大城さんは日本人初の国際山岳医になった。さっそく無料のウェブサイト「山岳医療情報」を開設し、’11年には大野記念病院に非常勤医師として戻り、これも日本で初めての「登山外来」を設立。山岳での3大死因――外傷、心臓突然死、低体温症を未然に防ぐために、登山者に健康・安全のためのアドバイスや指導を始める。

そんな大城さんに、登山家でプロスキーヤーの三浦雄一郎さん(86)から連絡が入ったのは’12年春のこと。翌年4月に、80歳という世界最高齢のエベレスト登頂に挑むので、チームドクターとして同行してほしいというのだ。

「さっそくお会いして診察したんですけど、当時の三浦さんは高血圧症、脂質異常症、狭心症、不整脈、白内障。身長164センチに体重85キロと、筋肉質だけど体重オーバー気味で、高所では心筋梗塞や脳梗塞のリスクが高まることが考えられました。ただ、不整脈はいわば善玉で、登山を断念するようなものではなかったんですね。それに『人間の可能性を1ミリでも押し上げたい』『世の中の高齢者に夢と希望を与えたい』という登山にかける情熱がすごかった」

大城さんはチームに帯同することを決めた。そして、’13年5月23日、三浦さんは見事、標高8,848メートルのエベレスト登頂に成功。世界最高齢記録を打ち立てる。

今年10月30日、三浦さんは新たな挑戦について記者会見を行った。来年1月に、南米最高峰のアコンカグア(6,960メートル)登頂に挑む。チームドクターはもちろん大城さんだ。

「最近“恩送り”という言葉を知ったんです。親や先輩から受けた恩を、直接その人に返すのではなく、別の人に送ること。安全で健康な登山のお手伝いをすることが、私の恩送りなんですね」